スミレ  

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「およ、点滴外れてんじゃん」
いつものごとく部屋に駆け込んだおれは、咲に向かってそう言ってやった。
咲は、うれしそうに頷いて見せる。
「じゃあ、外行ってみっか?」
気軽に言ったおれの言葉に、少しだけ咲の顔に戸惑いがうまれる。
「咲?」
なんだよ、おれ、なんか悪い事言ったのか?
おれの心配そうな声に反応して、咲は苦笑して見せた
「ゴメンね、わたし、さっき点滴外したばっかりだから……」
ちゃんと歩いて行ける心配がないと。
う〜ん、そんなもんですかね?
「平気だろ?おれだって、点滴外してすぐにここまで走ってきたんだぜ?」
「あ、それってここに始めて来た時?」
「そういうこと」
その言葉を聞いて、咲の顔が少しだけ明るくなる。
「じゃあ、平気かな?」
「だから、さっきからそう言ってるだろ?」
そういったおれの言葉に、咲が軽く頷く。
そして、先は近くにあったカーディガンを羽織ると、立ち上がった。
「じゃ、行こっか」
という咲の言葉に合わせて、おれ達はこの病室を出た。
「うわー、すっごーい」
そう言って、咲が目を輝かせるのも当然といえば当然か。
だって目の前には、いかにも女子が喜びそうな花畑があったからだ。
スミレにレンゲにチューリップに……おれの知っている花以外にもかなり多くの花が咲い
ていた。
というここは、病院の裏庭だ。
こんなに良い所にも関わらず、ほとんどの人には知られていない。
とかいうおれも、あのおばはんに教えてもらったんだけどな。
「な?良いとこだろ」
唯一、おれの自慢できるところなのかもな。
咲はそっとしゃがみ込むと、近くのスミレを手に採った。
「拓也、花言葉って知ってる?」
「花言葉ぁ?知ってるけど……スミレのなんて知らねぇぞ」
「別に聞いてないわよ。って、わたしも知らないんだけどさ」
そう言って、手の中のスミレを眺める。
白色なのだが、その花を縁取りするように、ほんのりと紫色がかかっている。
「決めた!」
突然咲から上げられた声に驚いて、彼女を見る。
咲は、満足したような顔をしておれのことを見た。
「この花の花言葉!」
「はぁ?花言葉って、最初っから決まってるもんだろ?」
「そうだけど……知らないんだもん、しょうがないでしょ」
少しぐれたように言って花を持ち上げる。
太陽の光の中に咲いた花が、紫色に輝いて見えた。
「元気な日!」
スミレに向かって、元気よく咲が言った。
盛り上がってて悪いけど、サッパリ意味がわかんねー。
「なんだよ、それ。どういう意味なんだ?」
咲は、花を胸に抱くようにしておれの方を見た。
そして、にっこりと笑う。
「わたしが元気になって、始めてみた花だから。この花を持ってる人は、元気になります
ってね。それから……元気でいて欲しいって」
「……ふ〜ん」
答えて、空を見上げる。
青々として晴れ渡った空がやけに眩しく見えたのは……おれの、気のせいだろうか。
「それよりさ、咲、大丈夫か?」
「なにが?」
いや、なにがって……
「だから、疲れてねぇかってこと!」
そこまで言われて、咲は始めて気が付いたかの様な顔をしておれの方を見た。
そして、少し首を傾げる。
「う〜ん、大丈夫だと思うわよ。別に、喘息が出てる訳じゃないみたいだし。それよりさ

おれの方を見上げるようにみて、咲は笑顔でいった。
「この花、部屋に飾ったらかわいいと思わない?」
ったく、なにを考えてるんだか。
そう思いつつもおれは、笑わずにはいられなかった。
「いいんじゃねぇの」
そう言って、咲の手を取る。
「あんまり長いと疲れちまうだろ?また明日ってことで」
しゃがんでいた咲の体を引っ張り上げて、歩き出す。
普通の脱走より、全然楽しかった。
おれが咲と出会って約1ヶ月。
おれの胸のうちには、何かもやもやとしたものができ始めていた。

「ほら、早くしようよ」
昨日よりも一段と元気よく、咲が言った。
行きたくて行きたくてしょうがなかったらしい。
にしても、昨日の今日なのに大丈夫なのかよ。おれは、そっちの方が心配だけどな……
でも、昨日よりも咲の顔色が良いのは確かだった。
「それで寒くねーのか?おばはんが、今日は寒いって言ってたぜ?」
「う〜ん、平気だと思う。」
そういいながらも、咲は自分の服装を確認した。
といっても、病院用のパジャマの上にトレーナーを着ただけなんだけどな。
「ま、平気ならいいけどな。じゃ、行くか」
そう言って、扉の方へ歩き出す。
「あ、待ってよー」
という、咲の言葉を背中に受けながら。

ふわりとした白いベールのかかったような空から、薄い光がさしこんでいる。
所々に当たった光のところにだけ、小さな花が咲いていた。
「今日、あんまり咲いてないね」
ちょっと悲しそうに、咲がつぶやいた。
ま、雨の日に比べたら全然マシだと思うけどな。
「しょうがねぇだろ。晴れてるわけなんじゃねぇし」
そう言って、花を見る。
昨日は満開に咲いてた花々も、つぼみのままだ。
咲は、小さく口を尖らせて、近くのベンチに座った。
今のところ、おれ達以外に外に出ている人はいないらしい。
おれも、隣に座りこむ。
少し、肌寒いな……。
「どうすんだ?このままここにいるか?」
それとも、帰るか。
口には出さずに、聞いてみる。
咲は少し迷っていたようだが、やがて口を開いた。
「寒い……よね。帰ろっか」
悲しそうに言って、咲は小さく笑った。
「オッケー」
短く答えて、立ち上がった時だった。
「咲!!」
という声が聞こえてきた。
女の人の声……咲のおかーさんか何かかな?
って思うまもなく(考えたけどな)当の本人がやって来た。
茶色いふんわりとした髪が腰にまでかかっている。
すっげー咲と似てる……思いっきり咲のおかーさんだな。
「もう!こんなところにいたのね!!勝手に出て行っちゃダメでしょ!?分かった、この子に行こうって言われて付いてっちゃったのね!?」
一方的に言って、おれのことを睨みつける。
「い、いや、そうじゃなくて……」
「咲、黙ってなさい!」
ぴしゃりといって、おれの方に向き直る。
いや、すっげー怖いんですけど……。
「あなた、名前は?」
「如月……です」
「そう、如月くんね。分かったわ。さ、咲、行きましょ」
な、なに……!?
しかも、そのまんま咲を連れてこうとするし……
口を開こうとして、止める。
咲が、喋るなと目で言ってきたからだ。
でも、無理に止めといた方が良かったのかもしれない。
その後でおれは、すぐに退院する事になったから。
おばはんがずっと見張りに付いていたせいで、咲の住所もなんにも聞けなかった。
きっと、咲のおかーさんに頼まれて見張りについてたんだよな。
「おめでとう」
そう言ってくるおばはん。
そっぽを向こうとしておれの母さんに抑えつけられる。
「……ありがとーございます」
仏頂面のまま言ってやる。
でも、おれの両親はそれでもよかったらしい。
「さ、いこう」
促されて出ようとして、ふと、足を止める。
「拓也?」
母さんに聞かれて、空を見上げる。
薄いベールのかかったような空から、光がさしこんでいる。
忘れ物。
「ごめん、ちょっと待ってて」
そう言って、走り出す。
病院の裏に回りこんで、スミレの花を探す。白に、紫色の縁取りのやつ。
「あ、あった」
小さくつぶやいて、その花を摘み取る。
みずみずしい花が、太陽の光に照らされてキラキラと輝いている。
花を潰さないように優しく握り締めて、おばはん達のところまで駆けて戻る。
それから、おばはんにスミレをぐいっと突き出した。
おばはんは、驚いた顔をしておれのことを見返してくる。
「咲に渡しといて。おれからだってことは言わなくて良いから」
そう言って、花を押し付ける。
「じゃあな、おばはん」
おばはんとわざと強調して言って、逃げ出す。
「じゃーね、ワンパク小僧!」
おばはんの元気な声がおれの背中にぶつかってきた。
思わず、苦笑する。
おれは、普通の中学生に戻ることになった……。


――もう一度、一度で良いから、彼女に合いたい――

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