日常と非日常の間(3)  



「リクっ」
「のわっ」

 急に隣から何かを突き出されて、思わず少し下がった。
 そして、目の前に出された黒いものが、猫だということに気が付く。

「……兄貴、何コレ」

 猫を目の前から遠ざけるように手を動かすと、それに気が付いたのかナギが猫を胸元辺りに抱きなおして、何って、と首を捻った。

「猫」
「いや、それは分かる」
「黒猫」
「そうじゃなくって」
「拾った」
「なんで」
「泣いていたから」
「……」

 思わず、ため息を付く。
 他の猫よりも小さいことから、多分、あまり体が強くないと思われて捨てられたのだろう。
 顔立ちは良いのだが、薄汚れている。

「というわけで、リク」
「ダメだからね」
「な、何だよっ! まだ何も言ってないだろっ!」
「言わなくても分かるよ。ダメっていうか無理」
「リクの馬鹿! ちびが可哀想じゃんかっ」
「……ちび?」
「こいつの名前」
「なんちゅう安直な」
「あんちょく?」
「単純だってことだよ。って、そういう問題じゃなくて。ともかくダメ」

 これで連れて帰ったら、ナギだけでなくリクも一緒にどやされる事になる。
 それもイヤだし、猫の面倒を見る事だって満足に出来ないだろうと思ってのことだ。

「ちびー、ダメだってさー。ごめんなー」

 ちび(仮)を抱き上げながら、ナギが残念そうに話しかけると、猫は、にゃあと小さく鳴いた。
 それも、また哀しそうに聞こえるから不思議だ。

「兄貴、何言ってもダメだよ」
「むー、リクの馬鹿っ」
「馬鹿言うな馬鹿兄。ちゃんと考えてんのか」
「失礼な、ちゃんと考えてるぞっ!」
「ほーぉ? 例えば?」
「だ、だから、えっと、ちびが可哀想だなって」
「連れて帰ってからのことは?」
「なんとかなるっ!」
「えさ代は?」
「なんとかするっ」
「適当なこと言うなよ、この馬鹿兄っ!」
「馬鹿言うなリクの馬鹿っ!」
「あのー」

おずおずと、横で様子を見守っていたユフィが声を掛けてきた。というか、普通に忘れていたが。

「私、代わりに飼ってあげようか? うち、それぐらいの余裕ならあるから」

 でも悪いよ、と言おうとしたリクよりも早く、本当かっ! とナギが目をきらきらさせて食いついた。
 にゃあ、と鳴いた声が、今度は嬉しそうに聞こえるから以下略。

「はい。会いたかったら連れて行くか、うちに来てもいいですよ」
「ほんとかっ! よかったな、ちび!」
「ユフィ、いいの?」
「うん。私も猫好きだし」

 言いながら、貸して下さい、とナギの手からちびを受け取って、嬉しそうに胸元に抱く。

「……別に、この馬鹿兄のことは気にしなくても」
「あー、また馬鹿言ったっ!」
「ナギさんを気にして言ったんじゃないよ。私が、猫を飼いたいの」

 言って、ね、と笑って見せるユフィに、じゃあ、よろしくお願いします、と言いながら頭を下げる。
 にゃあと鳴いた声が、今度は楽しそうに以下略。

「べ、別に頭下げなくていいよっ! 大した事じゃないんだから」
「うん、じゃあユフィっ!」

 楽しそうに、少しだけ真剣な顔をして、ナギがにっこりと笑みを浮かべつつ声を上げた。

「お礼って事で、リクが送ってくよ」
「……兄貴」
「いいんですかっ!」

 どういうつもりだ、と続けようとしたリクの声に、ユフィの言葉が被る。
 ナギは楽しそうな顔で「どうぞどうぞ」と言いながらリクの背中を押して

「俺に、客がいたみたいだ」

 リクにだけ聞こえるように、囁いてきた。

「客って、兄貴っ!」
「文句は後。向こうは俺がまくから、お前はとりあえず彼女送っていけ。北側の方だろう、自然に巻けるはずだ。しばらくしたら、戻れ。いいな」
「……了解」

 小さな声で答えると、ナギは頑張れよ、と言うように軽くリクの背中を叩いて、ひょいと離れた。

「じゃ、悪いけど俺、用事出来ちゃったから。後はごゆっくり」

おちゃらけたように言って、恭しく頭を下げる。
 そして、直ぐに人ごみに紛れるようにして、どこかへ去って行ってしまった。
 多分、客人とやらに姿を晒しに行ったのだろう。
 流石に、片手を怪我している状況で無理はしないとは思うが、少し心配だ。あの馬鹿兄のことだから、自分が怪我をしていることも忘れているんじゃなかろうか。
 そう思ったら、無理矢理にでも止めておけばよかったかと思う。
 まあ、そう言った所で聞くような兄貴でもないが。

「あの、リク君?」
「ん、ああ、ごめん」

 少し、ぼんやりとしていただろうか。
 慌てて笑って見せながら、行こう、とユフィのことを促した。何かがあっても直ぐに反応できるように、いつもよりも近い位置で横並びに歩く。

「……リク君、どうかした?」
「え、いや……別に」

 何か変だっただろうか。
 そう考えながら答えると、ユフィはくすり、と笑ってこちらを見上げた。

「リク君、嘘下手だよね」
「……そう?」
「うん。直ぐ分かるよ」
 そうだろうか。
「浮気できなさそうだよねー」
「……その前にしないけど」
 思わず苦笑しながら答えて、辺りを見回す。
 兄貴が言っていた“客”らしき人は、分からない。リクから見た限りは皆普通の街人に見えるし、逆に言えば全員が怪しく見える。
 兄が、うまく全員を連れて行ってくれたのだろうか。
 それも有り得るが、それはそれで心配だ。
 そんなことを思いながら、しばらく視線をめぐらせていって。

「……あ」
 思わず、小さく声を上げた。
「どうかしたの?」

 首をかしげながら聞いてくるユフィに、いや、と小さく答えながらも、歩きは止めないでそちらを見る。

 ジャンだった。
 小太りの愚鈍そうな、眼鏡をかけた人物と話している。誰だろう。少なくとも、『鷹目』のメンバーでない事は確実なのだが。

 いや、別におかしい事ではない、とリクは考えを改める。

 『鷹目』のメンバーだからと言って他のギルドなどと交流がないわけではないのだ。
 友好条約を結んでいるギルドとはしょっちゅうやり取りがあるそうだし、それとは関係なく、仕事で知り合いになった可能性もある。それでも。
 なんだか、ジャンの知り合いにはないタイプだよな、と少しだけ思う。

「なんかさ、リク君のお兄さんってすごく良い人だね」
 ユフィに言われて、そうかな、と苦笑する。
「そうだよ。私、もっとクールな人ってイメージがあった」
「クールって、どんなさ?」
「えーっとねぇ。リク君をもっと大人っぽくした感じ。あ、でも、別にリク君が子供っぽいって訳じゃないよっ?」

 慌てて続けるユフィに少し笑って、他の人もそう思っているだろうか、と考える。
 友人に兄弟がいるのかと聞かれれば兄がいる、とは答えるが、それ以上のことはあまりしゃべったことはない。
 どんな話をしているかとか、どんな姿なのかとか、そういったことは一切話していないのだ。
 だから、ユフィのように全然違う兄像を想像している人もいるだろう。

「じゃあ、全然違ったわけだ」
「うん。何か、すごく意外。でも、やっぱり兄弟かなって感じはしたよ」

 言われて、少しだけ驚く。
 それを表に出さないようにしながら、どういうところが、と聞いてみた。

「喧嘩してる時とか、何かそっくりだったもん。やっぱり、一緒に居ると似てくるのかな」
「どうだろう。良く分からないけど」
 言いながら首を捻ると、笑われた。
「分からないと思うよー。私も、弟と似てるって言われるけど良くわからないし」
「弟、いるんだ」
「うん。すっごい生意気」

 落ちそうになっていたちびを抱きなおしながら、唇を尖らせて言う。
それから、でも、と言葉を続けた。

「弟がいるから、私、店継がなくてすむんだけどね」
「……お父さん、商人って言ってたね」
「成金だけどねー」

 言いながら、屈託なく笑う。
 それから、あ、そういえばと話題を変えて話し続けるユフィに適当に相槌を打ちながら道を歩く。

 公園を抜けて、北へと続く道。
 石畳が南に比べて白く美しくなっていき、人がばらける。店がなくなってくる辺りになると、もう、ほとんど人はいなかった。少し振り返って見るが、どうやらついて来ている人はいない。
 これなら、ユフィを巻き込まずにすむか、と少しだけ安堵した。

「リク君、ここ、私の家」

 言われて、ああ、と立ち止まってその家を見た。
 もう少し奥にある“貴族様”達の家に比べれば質素でこじんまりとしていると言えるだろうが、リクの基準からすれば十分大きい。ある程度、儲かっているのだろう。
 まあ、奨学金もなく子供二人を学校にやる余裕のある家なのだから、それなりに裕福で当然なのだが。
 ついでに言うと、リクは常に奨学金をとっていることで、どうにか学校に通えている状況だ。

「じゃあ、また明日」
「うん。ありがとね、送ってくれて」
「いえいえ。ちびのお礼です」

 言いながら、ちびの頭を撫でると、気持ちよさそうに鳴いた。捨て猫にしては、なかなか人懐っこい。
 それが少し、意外に思えた。
 じゃあね、と踵を返して道に戻ろうとする。
 と、あの、とユフィが後から声を掛けてきた。

「ん?」
「私、本気だからね。本気で、リク君のこと好きなんだからねっ」

 なんだか、泣きそうな顔をしていると思った。
 それでも、どう答えれば良いのか分からなくて、曖昧に笑って見せてから、それじゃ、と今度こそ本当に背中を向けた。

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