愚者の思い(1)  



 なんだか、昔の事を思い出した。
 王城の横にある水門を抜けて、国の中を大通りを二度ほど横切るようにして流れているセム川を見下ろしつつ、ジャンは小さくため息を吐いた。

 セム川は、嬉しくはないが、綺麗ではないことで有名だ。
 街を囲う大きな城壁の外にある間は清らかで美しい姿を保っているこの川だが、中に入ると直ぐに泥川に近い状態になる。それは街のゴミや、降って来た雨が全て泥と共に流れ込んでくることにあるのだが、どうにかしようという動きは少ない。どこやらの学生や人の良い人間がゴミを拾いに川に入ったり、泥を掬ったりしているのを見たことはあるが、流れ込むゴミの量に比べたら微々たるものだ。

 どうしたら、この川が綺麗になるだろう。

 多分、綺麗になることはないのだろうと思う。
 もっと画期的な、今までとは違う発想でここを綺麗にしようと、そう思わない限りは。

 汚い。どこまでも汚い。泥のように。

 お前だけは、生き延びろ。

 そう言ってきた彼の……近所に住む人だったが、自分は兄のように慕っていた彼の形相は必死だった。
 俺みたいに臆病で、友達の中でも頼りにされることのない人間が、俺たちの意志を正確に読み取って継いでいけるとは、多分彼も思っていなかっただろう。
 俺だってそうだ。
 俺には、そんなことできるような強さは、意志はない。

 俺たちが、俺たちの町がやろうとしていたのは、転覆だった。
 いや、転覆というほど大きなものではない。反逆、と言うのも少し違うか。

 あの年、俺たちの町では、当然周辺の町も含まれるが、大きな飢饉に見舞われていた。
 それにも関わらず、国は税を減らそうとはしなかった。いや、むしろ取れる税が少ないと、こちらに圧力までも掛けてきたのだ。それで、人々が怒らないわけがない。
 集めた麦を取られ、食べるものがなくなって。俺たちは、いや俺を除いた彼らはいきり立っていた。

 こんな国あってはならない。
 そうだ、国というのは何のためにある、民の為ではないか。
 民あってこその国、民の為にあるが国の姿。
 違うのか、そうじゃないのか。
 彼らの、カフェに集まってそう会議していた彼らの考えは進みすぎていたのかもしれない。いつかは実行されるだろうと俺も思っていはいたが、それでも、少し、早すぎた。

 タイミングというのはこの上なく大切なものだ。
 周りに理解されず、自分たちばかりが突き進んでしまえば話にならない。
 どんな素晴らしい理論も、相手にされることはないのだ。

 彼らも、そうだった。

 何人もの人々が、彼らの理論は理解できなくてもこの状況が打開できるなら、と思った人々が集まった。
 その中には彼も、そして俺の両親も居たのだ。

 そして俺は……まだ学生の身分だとして、その中に加わる事は許されなかった。
 実際、それは正しい判断だったのだろう。
 俺にはあまり理解できていなかったし、一緒に立ち上がろうという気概もなかった。

 だから俺は、彼らの事を遠巻きに、それでも部外者から見れば大変近い位置で、彼らの事を見ていた。
 多くの情報を知っていた。知りすぎていた。

 それが、いけなかったんだ。

 俺は知っていてはいけなかった。
 完全な部外者であればよかった。

 いや、そうじゃない。違うんだ。

 近くにあった街灯に、火付け役の親父が火をつけたらしい。暗い闇に沈んでいたセム川の水面に、ぽつりと、オレンジ色の光が浮いた。
 目を細めてそれを眺めつつ、違う、ともう一度思う。
 寄り掛かっていた橋にうつ伏せに倒れるように両腕を掛けて、ジャンは再び、ため息を吐いた。


 俺が、弱くなければ良かったんだ、と。


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