愚者の思い(2)  



 奴らが……国の転覆を企む不届き者を取り締まる役割を持つ、憲兵隊の奴らが俺に目を付けたのは当然の結果なのだと思う。
 だって、そうじゃないか。
 もし俺が奴らの立場だったとしても、同じ事を思う。

 あいつは弱そうだ。
 しかし、重要な情報を持っているそうだ。

 この二点があればもう、やる事は決まっている。

 あのガキに的を絞れ。
 そして、情報を聞き出すんだ。それが重要。
 そうすれば、自分たちの仕事は完遂できる。

 正しい判断だ。実際、そうだったのだから。

 ある時あいつらに捕まった俺は、脅された。
 いや、脅しなんて生易しいものじゃない。アレは拷問に近い。あの時の傷跡は、今でも、生々しく俺の身体に刻まれている。
 幾つも残ってしまったこの傷跡を見る度に、俺は罪悪感に苛まれるのだ。

 俺が強ければ。
 弱くなければ。
 何も知らなければ。
 彼らと繋がりがなければ。

 俺が、いなければよかったのに。

 彼らならどうだったのだろう、と思わないわけではない。
 でも、多分。彼らの目を思い出す限り、俺のように情報を漏らしたりはしなかっただろうと思う。俺のように、口を割ってしまう事はなかっただろうと思う。

 彼らは、強かった。

 彼らは彼らの誇りの為に、彼らの家族の為に、彼らの仲間の為に、その命を規制することが出来る強さがあったのだ。
 自分の為じゃない。
 自分じゃない誰かの為に自らを捨てられる、その強さ。俺にはなかったもの。
 幾ら努力しても、たぶん一生、俺は持つことは出来ないもの。

「さっさと話せよ。ちょっとだけでいいんだ。分かるだろう、なあ。おれ達だって好きでやっているわけじゃないんだ。こんなことをするのは、すごい、胸が痛む。なあ、わかるだろう」

 ねっとりとした、絡み付いてくるような口調で聞いてくる男の声は、今でもはっきりと覚えている。
 憲兵隊の、本当に下っ端の方の人間だろう。位の高い所にまでいけばこういったチンピラのような人間も格段に減ると聞いていたが、俺の相手をしたのは、そういう人間ではなかったらしい。

 そうだろう、な。

 顔を寄せてしつこく聞いてくる男に、俺は否応なく頷かされた。

 早く帰りたい。逃げたい。怖い。何なんだよ、こいつらは。
 俺にはわからない。何も知らない。
 なにもしらないから、だから、にがしてよ。

 何度も言ったが、そんなことでは逃してくれるはずがなかった。
 あいつらにとって、俺はどうでもいい存在なのだ。
 任務を遂行する事。さっさと終わらせることが重要だった。

「わかってるのか、おい。お前がさっさと話してくれればお前は助かるんだ。お前の家族は助かるんだ。お前の知り合いだけは助けてやるって言ってるんだ」

 俺は、たすかる?

「そうだ。しかし、そう、全員とはいかない。おれたちだって国の為に仕事してるんだ。国の安定を乱す奴らを逃す事は出来ない」

 それじゃあ、どうなの。俺たちは、どうなるんだよ。

「けどな、捜査協力ってもんがある。助けてやるよ。安心しな。お前も、お前の家族も。なあ、分かるだろう。お前がしゃべれば周りの人間も助かるんだよ」

 なあ、どうなんだよ。なあ、わかるだろう、なあ。

 ねちねちと、繰り返してくる。

 段々と、疲労した頭の中で同じ言葉が繰り返されていくのを感じた。
 ああ、そうだ。そうだよ。
 助かるんじゃないか。
 助かるんだよ。俺は、俺の家族は。

 俺は弱い。俺たちは、弱いんだ。どうしようもないぐらいに、弱いんだ。
 こいつらに叶うはずがない。それは多分みんな、薄々と気が付いていたことなのだ。
 もちろん、俺だって気が付いていた。疑いもなくそうだと思っていたのだ。
 だから、少しでも助かる道があれば。そこにすがってもおかしくないではないか。そこに助けを求めても良いのではないか。

 それは。卑怯ではないのではないか。

「どうなんだよ、おい。しゃべるのかしゃべらないのか。いい加減にしろよな、おい。おれ達だって時間があるわけじゃないんだ。暇なわけじゃないんだ。いい加減にしてくれねぇかなぁ。どうなんだよ。言ってるだろ、お前たちのことは助けてやるって。それが気がかりなんだろう。どうなんだよ。さあ、しゃべんないのかよ」

 どうなんだよ。

 叩き付けるように言われて、びくりと体がはねた。いやだった。もう限界だ。

 だから、しゃべった。全てを話した。
 奴らに。
 俺たちのことを。

「良く話したな。もういいぞ、帰れよ。安心しろ。助けてやるさ、お前はな」

 にんまりと、嫌な笑いを浮かべて言ったあの男の顔は、今でも良く覚えている。その時に味わった、屈辱の思いも、共に。

 奴らが襲撃してきたのは、その一週間後のことだった。
 両親や友人や、兄と慕っていた彼にも何かあったのかと聞かれ続けていたが、俺は答えることが出来なかった、そんな時だった。
 剣と、そして高級すぎて俺たちはそれを拝む事しか出来なかった銃とを持って、奴らはやってきたのだ。

 そして。
「逃げろ、早くっ!」
「くそ、何で分かったんだっ?」
「誰かが告げ口したんだ、そうに決まってる」
「しかし、誰が……」

 人々の怒号と、悲鳴が飛び交い、奴らが俺たちを殲滅しようと中へ踏み込んできた時。
 俺は、何も出来ずにただ、そこに突っ立っていた。

「ジャン、何やってるんだっ! 早く逃げろっ!」

 腕を引っ張られると同時に怒鳴りつけられて、ようやく、俺は脚を動かした。

 なんだよ、と頭の中で声がする。
 なんだよ、なんだよなんだよなんだよ。
 言ったじゃないか、助けてくれるって。
 俺は、俺の家族は、俺の知り合いは助けてくれるって言ったじゃないか。
それなのに。

 何なんだよ、この状況は。

 辺りが血の海と化すのに、ほとんど時間は掛からなかった。
 当然だ。
 こっちは、そんな襲撃は想定していなかったのだから。
 武器だって、少しはあったけれど相当の数があるわけではなかった。そんな状況で、逃げられるはずがなかったのだ。

 ぱん、と軽い発砲音がして、俺の腕を引いていた父親が目の前で倒れた。母も、視界の先で、誰かの剣に貫かれていた。
 ひっと、誰かの声が、俺の声が洩れた。
 がくがくと足が震えて立っていられなくなり、その場に座り込む。
 俺のせいだ。どうしよう、逃げなくちゃ、俺が? 逃げて何になる、俺だけが逃げてどうするんだよ。俺のせいじゃないか、父さんも、母さんも死ぬはずなんかじゃなかったのに、俺は。
 座りこんでがたがたと震える俺に気が付いて、憲兵が近付いてくるのが分かった。
 とん、とんと近付いてくる足音が、死の宣告のように聞こえた。

「あ、う……」

 後に両手をついて、必死に憲兵から遠ざかる。
 足が立たない。
 ダメだ、分かってる。だって嘘に決まってるじゃないか。俺たちを助ける? そんな都合のいい話があるはずない。
 どっかで分かっていたんじゃないか、ジャン。あいつの顔を見て、あのにんまりと笑った顔を見て。
 気が付いていたはずだ。こうなることは。なのに。

 なのに、何で告げなかったんだ?

「ジャンっ!」

声がして、彼が俺と憲兵との間に滑り込んできた。
 両手には、憲兵隊のうちの誰かから奪ったのだろうか、細身の剣が収まっていた。

「こいつは俺が引き受ける。だから、逃げろ」
「で、でも」

 俺に背を向けたまま言う彼に思わず反論しかけると、少し振り向いた彼が、いつものように、にやりと笑って見せた。
 そして、ばぁか、とまるで悪戯が成功した時のように言ってくる。

「全員死なせるわけにはいかないだろ。逃げろよ、さっさと。お前だけは、生き延びろ」

言い捨てて、彼は目の前にいる憲兵に突っ込んでいった。
 生き延びる。
 ぐわんぐわんと揺れる頭を支えて必死で立ち上がり、俺は、その場から逃げた。こういう時の為にと準備されていた一本の抜け道、そこを通って、下水道を通り、なんとか、命からがら、あの町から抜け出したのだ。

 ぱん、と。

 俺の後ろで聞こえた発砲音は、無視して。

 どさっと、誰かが倒れたような音がしたのも。
 その後、行かせるか、と彼が言っていたのも。
 みんな。全部無視して。

 俺は、責められるのが怖かったんだ。

 自分が奴らに告げ口をしてしまった。
 そんなことを言えば、あそこに居た全員から爪弾きにされてしまうだろうと、そう考えた。
 それはイヤだったのだ。
 だから、何も告げなかった。
 告げられなかった。

 でも、そのせいで。
 俺が自分の弱さに対して、責任を取れなかったせいで。
 皆、死んでしまった。殺されてしまった。
 俺が、殺してしまったんだ。

 だから怖い。今でも。
 俺が一緒にいたら、また誰かを殺してしまうんじゃないか。
 俺の弱さのせいで、誰かが死んでしまうんじゃないか、と。
 だから。


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