Merry Christmas  

 弟が突然、そのことについて言い出したのは一昨日の事だった。どうやら一緒に遊んでいる友達に聞いて来たらしいのだが、それ以来、そのことについてばかり話をする。

「だからね、兄ちゃん。その人はサンタって言って。プレゼントを持ってきてくれるんだよ」
「それはもう、何回も聞いたぞ、リク」

 苦笑しながらナギが答えて、ほら、と今日の分のパンとどうにか買うことが出来た豆の入ったスープを、零すなよ、と言いながら手渡す。
 はぁい、と小さな声で答えながら受け取ったリクが、それでね、と直ぐに話を戻した。

 クリスマス。
 リクより三つ程年上であるナギが、それを知らないわけではない。リクは多分覚えていないだけだろうが、嘗て彼らが住んでいた街でも、その風習はあった。今はもうそれが親が子供に与えるプレゼントだということは知っているけれど、当時はそんなことは思いもよらず、サンタが来てくれたんだ、と素直に喜んだものだ。
 自分はもうそんな夢物語は要らないと思うのだが、リクはまだ小さい。
 そういう夢を見せてあげたいとは思うし、昼間は街の表通りに出て普通の子供達と遊んでいる彼にとってみれば、そういった子供達と同じ体験をしたいと思うのも当然だろう。公園に集まった子供たちに、学校で習った文字を教えてもらっていることも聞いている。多分、一緒に学校に通いたいのだろうが、今の状況ではそれも無理だと分かっていて言いだせずに居るのだ。

 今、二人分の食い扶持を稼いでいるのはナギ一人だ。
 日雇いの仕事や適当な店番などをして金を稼ぐほか、どうしても金が足らない場合は、良心は傷むものの自分はともかくリクを餓えさせるわけには行かないと、盗みをすることもあった。
 もちろん、それはリクには教えていない。もし自分が警察や街の自衛隊に捕まってしまったとしても、リクはその難を逃れることが出来るからだ。

「んで、リクは何か欲しいのかよ?」

 街の子供たちに聞いたのだろう。サンタの特徴や噂を指折り伝えてくるリクの言葉を遮って、聞く。
 いつもなら、リクはこういう質問には答えない。
 ナギがどれぐらいの金を稼いでいるかどうかは知らないだろうが、裏路地の奥まったところにトタンで屋根を作り、もらった木材でナギが作った床と風を防いでくれるだけの壁しかない家に住んでいる自分たちが、豊かではない事を知っているからだろう。だから、兄を気遣って「ううん、大丈夫だよ」と答え、服や靴がどうしてもこれ以上持たなくなってきた時にだけ頼んでくる。それも、かなり申し訳無さそうにだ。
 寧ろ、遠慮なく言ってくれた方が気が楽だと思えることもある。
 しかし、この時ばかりは違った。
 多分、サンタの話に一生懸命で、気持ちが盛り上がっていた事があるのだろう。リクは、直ぐに「くつっ!」と返事をしてきた。

「靴、か。確かに、もうお前のもボロボロだよなぁ」

 半分、ため息を付きながら答える。
 リクの靴がボロボロなのも当たり前だ。仕事に行った時に運良くもらえたお古の靴なのなのだから、半年ほど持ってくれただけでも有難い。しかし、新しい靴となると値が張ってしまう。
 買ってやりたい気持ちもあるのだが。
 そう思っていると、リクが黒い瞳をじっとこちらに向けてきて、ちがうよ、と返事をした。

「俺のじゃないよ、兄ちゃんのだよ」
「……俺?」
「そうだよー。兄ちゃんのくつ、もうぼろぼろだよ?」

 そういわれて、思わず苦笑した。
 確かに、自分の靴も古いし継ぎ接ぎだらけだ。買い替えなんて出来ないから、サイズだって合っていない。それでも買う余裕なんてないから、まだ、使うつもりでいた。

「いいよ、俺のは。まだまだ使えるさ」
「それじゃあ、俺もいらない」

 ナギの答えに、リクがにこっと笑みを浮かべて言う。
 それにどういう顔をして良いのか分からず、少し迷った後に、リクの黒い髪をわしゃわしゃと撫で回すと、弟は楽しそうに笑った。

* *



「なぁ、頼むよ親父っ! よ、太っ腹。格好良い、素敵、もってもてぇっ!」
「だぁから、やらねぇっつってるだろっ!」

 三軒目の靴屋の中。
 この街にある最後の靴屋になるのだが、やはり、相手の反応は悪かった。ナギが必死になって仕事先で覚えた褒め言葉を次々と並べて煽てているのだが、そんなものには慣れきっているのか、恰幅の良いこの靴屋の親父は、その一切に嬉しそうな顔をしない。
 寧ろ、かなり迷惑そうな顔をしてナギの事を見ている。

「金のない奴に売る商品はねぇ。何度も言ってるだろうが」
「だからっ! ちゃんと後で払うって。信用できないなら、ええっと、ほら、神に誓っても良いぞ!」
「お前は協会にも行ってねぇだろっ! そんな言葉信じられるかっ」
「そこを何とかっ! ああもう親父様マジ格好いい、やばいって、町中の女が振り返ってみてるんだぜ。あ、ほら、俺、顔良いじゃん。だから、面倒見ても良いぞっていう女知ってるし、そういう人紹介しても」
「あほか。適当な言葉並べてんじゃねぇぞ」

 ナギの言葉に、親父は寧ろ呆れたような顔を見せて、しっし、と手を振る。それにむぅっと一瞬だけむくれてから、もう一度、頼む、っと頭を下げた。
 小柄で可愛らしい顔をしたナギがそうやって平伏すると、流石に親父は具合の悪そうな顔をする。しかし、それでも、引こうとはしなかった。

「ダメだって言ってるだろ」
「そう言わないでくれよ。もう、他に、頼める店もねぇんだ。だから、お願いします」
「ンなこと言われてもな。持ち逃げは嫌だし」

親父の言葉に、ナギは顔を顰める。

「持ち逃げなんてしねぇよ。ちゃんと、金は払う」
「お前の気持ちの問題じゃねぇんだよ。今だってぎりぎりの生活だろう。そんな奴に、金が払えるとは思えないね」
「だ、大丈夫だよっ! 俺、今までの倍働く。そしたら、払えるだろっ!」
「言葉では幾らでもいえるさ。もう良いだろ、さっさと出て行け」

 親父に蹴られそうになって慌てて立ち上がり避けながら、そんな、と文句を言おうとしたら、ぎぃっと安っぽい音がして、木製の扉が開いた。
 ナギは背を向けていたので分からなかったが、驚いた顔をする親父を見て不思議に思い、後ろを振り返ると黒いコートに黒い帽子を被った男が見せの中に入ってきていた。

「だ、旦那。いらっしゃいませぇ」

 急に笑顔になり、猫なで声で言う親父に思わず顔を顰め、何となく男のことを見上げる。背の高い男だ。親父とは違って無駄な肉はついてない。
 帽子で、顔は良く見えないが。

「受け取りに来た。前に預けただろう」

 渋くて落ち着きのある声だ。
 どんな顔の人なんだろう、見てみたい。

「へぇ、直ぐ取ってきますんで、ちっと待ってくだせぇ」

 半ば慌てているらしい親父が言って、そそくさと店の奥に消えようとするので、親父っ! と慌てて声を掛けると、

「うるせぇがき、お前の相手は後だっ!」

 と怒鳴り返された。
 ちぇ、と小さく舌打ちして、ため息を付く。
 さっさと帰ってやりたいのに。折角リクが眠ったのを見届けてから来たのに、ふと目が覚めた瞬間に俺が居なかったら心配される。普段は俺に心配させまいとしているらしいが、あれで結構恐がりなところもあるし。
 そう思いながら唇を尖らせていると、ふと黒い服の男がナギのことを見下ろしているのに気がついた。不思議に思って見上げると、顔はよく見えないにも関わらずばっちりと目が合う。

「お前、なんだ、靴が欲しいのか」

 聞かれて、頷く。

「それで、買えなくて盗もうとでもしたのか」
「違うっ!」

 直ぐに答えて、男のことを睨み付けた。とはいっても、ナギの大きく明るい目で睨みつけられたところで、恐くともなんともないだろうが。

「金は、確かに今はないけど、後で絶対に払う。そんで、頼みに来たんだ」
「なんだ、盗んだ方が早いだろうに」

 男のその返事は、呆れを含んでいるようだった。それを少し不思議に思いながらも、そうだけど、と呟き、でも、と言葉を続ける。

「それじゃあ、リクがよろこばねぇもん」
「リク?」
「俺の弟」
 血はつながってねぇけど、と頭の中だけで付け加える。
「ふぅん。それは、クリスマスプレゼントって所か?」
「そ。だから、今日じゃないと意味ない」

 にやっと笑いながら、答える。と、視線を下げた男がふと、お前の、と声を発した。

「お前、自分の靴は」

 言われて、自分の靴もぼろぼろだった事に思い当たり、何となく恥ずかしくなって出来るだけ靴が見えないように足を少しだけ動かした。

「……俺は、いい」
「いいって」
「リクの分だけで手一杯だから。俺のは、また今度」

 答えると、男は再びふぅん、と小さな声で呟いた。
 そして、じゃあ、と声を発したところで

「いやいや、お待たせいたしました」

 店の奥から、親父が出てきた。その両手には、頑丈そうな黒いブーツ。修理にでも出していたのだろう。この親父、修理の腕はかなり良いと聞く。
 台の上に置かれたブーツを手に取り、じっくりと眺めた男が「良い出来だ」と言い、後な、と言葉を続けた。

「このガキが持ってる靴。これを買う。後、こいつに合う靴も選んでやれ」
「……へ?」
「聞こえないのか。この靴と、このガキの分の靴を俺が買ってやるって言ってるんだ」

 言われて、親父は少しだけ目を瞬かせた後、へい、と答えて一度店の奥に入っていった。
 それを見て、ようやく、ナギの頭が働く。

「ちょ、ちょっとっ!」
「なんだ」
「お、俺、何も持ってねぇぞっ!?」
「分かってるさ、それぐらい。まぁ上玉だが、売る気もない」
「だったらっ!」
「お前が気にする事じゃない。俺の気まぐれさ」
「き、気まぐれって」
「俺はお前を気に入った。だから買ってやろうと思った。何だ、文句でもあるか」
「文句は……ないけど」

 戸惑いながら言うと、ならいいじゃないか、と返された。
 そんなわけはない。
 更にナギが言い募ろうとすると、店の奥に行っていた親父が、幾つかの靴を持って帰ってきた。

「長く持つ奴を持ってきやした。ほれ、さっさとはいてみろ」

 言われて、靴を履いて選んで。
 親父が手際よく、リクと、そしてナギの靴を包んでプレゼントっぽくリボンをつけるのを眺めて。ほれっとその包みを渡されてからも、ナギはまだ迷っていた。

「でも、やっぱり」

 声を上げると、男は呆れたようだった。

「お前も頑固だな。まだガキなんだ、有難くもらっとけ」
「けどっ!」
「それ以上言うと、俺の気が変わるぞ」

 少しだけ怒ったような声に聞こえた。
 じっと包みを見て、リクの言葉を思い出して、少し考えた後に

「ありがとうございましたっ!」

 頭を下げた。そして、直ぐに背を向けて店から飛び出して家に向かって走る。
 純粋に、嬉しかった。
 これでリクの喜んだ顔も見られるし、俺だって、そうだ、足の指が凍傷みたいになることもない。

 プレゼント。クリスマスプレゼントだ。

「兄ちゃん、サンタは居るよね?」

 そうリクが聞いてきたのは昨日の夜。

 俺は、居るわけがないと思いながらも当然だよ、と答えた。
 ただ、リクを悲しませたくなかっただけの言葉だったが、今なら少しだけ、その時の自分の言葉を、信じられる気がする。
 サンタクロース。
 リクが言っていた特徴とは何一つあっていないけど、俺たちにとっては、あの人がサンタかもしれない。

 帰ったら、このプレゼントを俺たちの枕元に置こう。

 きっと、明日の朝、リクはものすごく喜ぶ。喜んでくれるはずだ。

 だから。
 明日は、心から言える。

 メリークリスマスって。

* *



「なぁ、親父よ」

 ナギを見送った後、客人に話しかけられて、親父はへい? と不思議そうな顔をして男を見返した。
 この男、前から相当な気まぐれであったが、今回も予想外の行動をする。いつもは、財布の紐はかなり硬いくせして、変なところでゆるくなるのだ。

「あのガキ、なんて名前だ」
「ああ……ナギっていうんだよ」
「ナギ。そうか」

 ふむっと小さく頷く男を見て、思わず顔を顰める。

「旦那、ああいうガキは、面倒ですぜ」

 思わず言うと、男は小さく笑った。
 そして、そうだろうな、と頷く。

「だが、俺は好きだ。そうだな、少し考えてみてもいいかもしれないな」

 そう一人呟いて、じゃあ、と軽く手を振り、店を後にした。

 ばたん。
 扉の閉まる音が暗い夜道に響いた。



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