お 花 見

BL・やおい風味の内容表現が含まれます。
言葉を知らない方、嫌悪感を抱かれる方はご遠慮下さい。
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 トオルが育ったという北方の町では、こういう習慣はなかったらしい。最初に、確か四、五年前に初めて『花見』という言葉を聞いた時の彼のキョトンとした顔は、今思い出しても、笑える。
 まあ、向こうではあまり外へ出歩く事もなかったそうだし、友人と呼べる人も少なかったようだから、細々とそういったことが行われていたとしても、トオルが気付いていなかっただけなんじゃないか。
 そう言ってからかった時、トオルは少し首を捻った後にこう答えた。

「んー、でもほら、あれだよ。ミカは雪見たことないけどさ、僕は花ぐらい見たことあるよ」

 当然である。万年雪に覆われているわけでもあるまいし、植物が生えているのなら、花ぐらい見たことがあるはずだ。

「でもさ、トオル。桜は知らないでしょ? 向こうには、確か自生していなかったはずだもの」
「……さくら?」
「淡いピンク色の花びらがいっぱい、上から落ちてくるのよ。すごい綺麗なんだから」

 ミカにそういわれて、しかし実感がわかなかったらしいトオルは、その時はふぅんと小さく呟いて終わらせていた。しかし、後日ミカに連れ出されて花見をしに行った時は、かなり、喜んだ。見たことのなかった風景に目を輝かせていたのは、その光景の美しさに対する感動ではなく、ただ純粋な未知への好奇心だったのだろうが。
 それでも、まあ、喜んでいた事は事実なのだろう。
 そんなことを思いながら山道を登り、ようやく、トオルの住む家に辿り着く。『ミカ』が壊れてから一ヶ月ほど。ようやく一ヶ月、まだ一ヶ月。最初は神経質になったり、急にテンションが上がったり、突如意気消沈してしまったりと、かなり不安定な状態が続いたが、それでも最近はようやく、持ち直してきた。当初は「縁を切る」とでもいわれやしないかと思っていたナツヤだが、今ではもう、そういう恐れもなくなっている。

「おい、トオル?」

 軽く扉を叩きながら声を掛けると、扉の向こうで何やらばたばたと音がして、もう一つどたんと大きな音がしてから、勢いよく扉が開いた。

「ごめん、ついさっき起きたから」
「……何、寝るの遅かったのか?」
「うん。っていうか、あの、この間発表された論文にさ、穴があったから。それ調べて考えてたら遅くなっちゃって」

 よくやるんだよね、と続けて笑う様子に少し安心する。どうやら、前のように眠れなかった、というわけではないらしい。

「まあ、いいけど。で、行くのか」
「いくいく。去年も一昨年も見に行かなかったしね」

 そう言い、玄関脇にかけてあった上着を引っ掛けて、トオルはそそくさと外に出てきた。そして、誰も入るはずがないだろう玄関に、鍵をかける。

「こんなとこまで盗みに入る、酔狂な奴もいないだろ」
「でも、こんなところまで花見に来る変わり者はいるしね」

 にこっと笑って見上げてくるトオルを見て、口をひん曲げる。
 確かに、こんなところまで花見に来る人間は……今は俺とこいつぐらいだろう。昔は、ミカが先陣きってここまでやってきたのだが、その彼女も今は居ない。
 それでも、この二人にとって、花見と言えば町から遠く離れた丘の上だった。本当は、トオルが一人者じゃなかったら家族総出で出かけるところなのだが、そうも行かない。トオル自身は気にしなくてもいいと言ってくれたのだが、気になるに決まっている。

「それじゃ、さっさと行くぞ」

 日が暮れる、と続けると、トオルは少し笑って夜桜もいいよね、と返してきた。

「あのな。あんなところじゃ、夜桜なんて見えないだろ」
「えぇ。試してみなきゃわかんないよ。やってみようよ」
「やるなら一人でやれ」

 俺はいやだと続けると、何故か、ケチ、と返ってきた。わざわざ来てやった人間に大してそれはないだろう、と口にすると面倒なので心の中だけで呟いた。



 丘の上に、大きな桜の木が一本だけ。よく、こんなものを見つけたもんだと、何回来ても感心してしまう。最初にこの場所を見つけた時、ミカは喜び勇んで

「すごいわよ、ここっ! なんかこう、ほら、なんたらって小説の舞台を思い出させるようなっ」

 と言って来たのだが、結局最後まで、彼女の言う『なんたらって小説』が何なのか分からなかった。まあ、確かに、舞台設定で使われそうなところだと、そういいたい気持ちは分かるが。
 思うに、誰かが、記念か何かでこの桜を植えたのだろう。それが、人知れず育ち、このような形になった。ということを彼女に分かるよう懇切丁寧に説明してみたところ、何故か思いっきり殴られて

「ナツヤの馬鹿。だから、彼女ができないんだっ」

 と相当屈辱的なことを言われた。いや、的を得ていたのは確かだが。それにしても、それはない。

「何回来ても、やっぱりすごいよねー、この木。おっきいし。町も、下の桜も全部見渡せるしさ」

 元々体力がない為に、道中喘いでいたトオルが、桜の根元に座り込んでしばらく、ようやくそう言ってきた。

「あぁ。ミカが道に迷って、偶然見つけただけだけどな」
「あれ、そだったの?」
「そうさ。ミカが嫌がるから、話さなかったけど」
「ふぅん?」

 少し不服そうに唇を尖らせたトオルに、苦笑する。

「しかしあれだぞ。酒の肴に話そうとするだけで、ものすごい目つきで睨まれるんだぞ」

 酔いも冷める、と続けると、トオルは少し笑った。それから、でも、と続ける。

「僕、ミカの怒った顔、あんま見たことない」

 それはそうだろ、と即答しそうになって、やめた。何でさ、と聞かれてその後の説明が、ぶっちゃけ面倒臭い。だから、そうか、と答えるだけに留めたのだ。
 ミカのトオルに対する態度と、ナツヤに対する態度は、比べるのも馬鹿らしい程に全く違っていた。彼女は、トオルには妙に優しかったのだ。あれは、母性本能に近かったんじゃないかと、勝手な感想ながら思う。元々守ってもらうのが好きではなかったのは知っているが、滑稽なほどにトオルを守ろうとしていた。
 まあ、今更、何と言う事もないのだが。

「ね、ナツヤ。それ、サナエさんが作ってくれたんでしょ。いつまで抱え込んでるのさ」

 しばらくぼんやりと町を眺めていたと思ったら、今度は振り返るなり突然、そんなことを言ってきた。それを見て、なんとなく思う。
 あれか、子供を世話している気分にでもなるのか。いや、まあ、こんなでかい子供もいないだろうが。
 頭の中でそう考えながらも、へいへいと適当に答え、手に持っていた弁当と、それから数本の酒を取り出す。
 どう考えてもトオルが持って歩いたら途中で潰れてしまうだろうし、まあ、二人分だったらと全部自分が運んだ。最初のうちは、僕も持つ、半分ぐらい運べる、といい続けていたトオルだったが、途中で体力が尽きかけたらしく、前を歩くナツヤに大人しく付いてきた。
 大体、何回か前にミカを含め三人で来た時も、昔病弱だったせいなのか何なのか、ミカに心配されながら必死で荷物を持って運んでいた。それを見て、というかミカに睨まれて、その後の荷物運びはナツヤの仕事と決まったのだ。今更、引きこもりもやしに、これを運ばせるつもりはない。むしろ、途中で落とされた方が困る。

「さすがサナエさん、上手だね」

 弁当に詰められていたおかずをつまみながらそういうトオルに、手抜きだけどな、と小さく答えて自分もそれに手を付ける。それから、頭の中に浮かんだサナエの「ああもう、トオルさんが独り者じゃなかったら遠慮なく私も、子供達もいけるのにっ」と地団駄踏んでいたことを思い出し、苦笑した。彼女も彼女なりに、自分が行ったらトオルがミカを思い出してしまうのではないかと、気を使っているのだ。多分、もう平気ではないかとも思うのだが、猛反発されそうなので黙っていたが。

「ええ、でも、美味しいよ? まともな食事って感じで」
「……お前、ちゃんと喰ってんのか?」
 言うと、トオルは少しだけ首を捻ってこちらを見た。そして、視線を彷徨わせた後に、食べてるよ、と答える。

「嘘だな」
「何で」
「即答じゃない」
「でも、ちゃんと」
「なんだよ」
「……なんでもない」

 ぐれたように再び唇を尖らせたトオルに、少し笑い、これ飲むかと酒を掲げて見せると、彼はあっさりと首肯した。
 トオルの歩く早さに合わせて来た為に予定より遅く着いたとはいえ、夕方である。あんまりゆっくりしていては本当に夜桜を堪能する羽目になってしまうのだが、まあ、持って来たのはそんなに強くない酒だ。酔って寝入ってしまうということもないだろう。
 そう思って持ってきた酒だった。
 のに。


「何で酔うかね……これしきで」
「別に酔ってないもん」
 呆れたナツヤの声にそう言い返しながら、トオルがコップに手を伸ばすのを見て、こらこら、と言いながらそれを取り上げた。

「あー」
「あー、じゃない、あーじゃっ! これ以上飲むな、水でも飲んどけよ。酔いさませ」

 コップと酒を取り上げて彼の手が届かないようにすると、トオルはむくれたような顔でこちらを見上げてきた。目が濡れたように赤くなっているのは、完全に、酔っているせいだ。

「だからぁ、酔ってないってこれは」
「その状態を普通、酔ってるって言うんだっ」
 怒鳴るようにしていうと、トオルはしゅんと耳を垂れ下げた犬のように身を竦めた。さっきよりも上気した顔でこちらを身、ナツヤぁ、と声を掛けてくる。

「ナンだよ」
「怒ったら、やだぁ」

 あほか、何言ってるんだ、と言おうとして、コレは酒が入ったせいなのか、と考え直した。
 そういえば、ミカが生きていた時、何故か彼女は他の人の前でトオルに酒を飲ませようとはしなかった事を思い出す。そう。普通、祝いの席やら何やら、少なくとも一回ぐらいは酒を口にすることはあるはずなのに、トオルは徹底してそれを避けられていた。もしかして、この酒に対する弱さを知っていてのことなのか。
 今更思い出された事実に、小さくため息を付く。どうせなら、ジュースでも持ってくればよかったのか? いやしかし、子供が相手でもあるまいし。
 そう思い深々とため息を付いたところで、ぐいと、腕に重みがかかった。今度は何だ、と見下ろすと、こちらの腕にしがみ付いて何やら必死に見上げてくるトオルの姿。
 ……本気で、酔ってるな。
 ため息を付きつつ、とりあえずコレの酔いがさめるまで放っておくしかないのかと思い、暗くなり始めた空と微かに光を通す花に目を移したところで。

「なつや」

 腕にしがみ付いていたトオルが、くいくいと袖をひっぱった。

「何」
「なつやぁ」
「ナンだよ?」
「僕のこと、嫌いになったぁ?」
「……はぁ?」
 何を言ってるんだこいつは、とトオルを見下ろすと予想以上に真剣な目にぶつかり、うろたえた。そして、いや、よく考えろ、こいつは酔っ払いだ。つまりどうかよく分からない回路を通って、特にトオルの場合酔っていなくてもよく分からない回路を使っているから酔っている場合も似たようなもので、つまり考えるな自分、と結論付ける。
 一瞬だけ迷った後に、それはない、と答えた。それで何とかなるかと思ったが、現実と酔っ払いはそう、甘くはない。
 トオルはむっと顔を顰めて更にこちらの腕を引っ張り、顔を近づけてきた。上体が傾き、慌てて引っ張られた左腕に力を入れて、支える。

「ほんとにー?」
「ああ、ホントホント」
「じゃあさぁ、しょうこは?」
「……は?」
 酔っているせいなのか怒っているせいなのか、半目になったトオルに聞かれて、きょとんとした。しょうこ、しょうこ、と繰り返すトオルから少し離れるようにしながら、何のことだよ、と返す。
 するとトオルは少し首を傾げて、酒が余計に回ってしまったのか、先程よりも潤んだ瞳でじっとこちらを見上げて。

「きす?」

 ……何。

「あのね、みかが、こっちではそーいう風習なんだよって言ってて、好きな人にはきすするんだよって」

 僕のとこでは、あんまり見なかったけど、と続けるトオルに少し呆れた。それと同時に、納得もする。ミカが言ったのは確かに、まあ、一部においては事実ではあるが。自分はそういうのは嫌いだし、そもそもそういう趣味だってないのだから、ここでそう繋がるのもどうなんだよ、と混乱しているうちに、ぐいと、またトオルが顔を近づけてきた。

「なつや?」

 説明するべきか、と考える。いや、しかしこの酔っ払いに説明して分かるか、と考えれば速攻で否という答えが頭の中に返ってきて。

「なーつやぁ?」

 もう一度聞かれて、いや、わかっても分からなくてもいいからとりあえず説明しようと決心し、顔を向けたところで。
 ぐいと、唇を押し当てられた。
 肩を押し返そうとする前に唇が離れて、ようやく視線があった先で、トオルがにこりと笑う。

「僕は、ナツヤのこと好きだよ?」

 にこにこと邪気のない笑顔で言われて、ナツヤは少し肩を落としながら、そうか、とだけ答えた。


「寝るなら、寝るで、もっと早く、寝てくれよっ」

 ぶつぶつと文句を言いながら、いい加減上がってきた息を整えて、再び足を踏み出す。片手には荷物を、そして背中には完全に寝入ってしまったトオルを背負って、ナツヤは家へと向かっていた。
 大体、なんだってこんな苦労をしなくちゃいけないんだ。いや、そもそも酒を持ってきた俺がいけないのか? というか、こいつこんな酒弱いなら飲むんじゃねぇよ、とどこにぶつけて良いのかよく分からない憤りをとりあえず呟きながら、ようやく辿り着いたトオルの家へ。前もって探し出しておいた鍵を使って入り、とりあえずトオルをベッドに寝かす。
 明日になったら、今日のこと、文句でも言ってイジめて憂さ晴らしでもしよう。
 そう思って、適当な床の上で横になり、目を閉じた。

 もちろんこの時、明日になれば今日のことなどトオルが何一つ覚えていないなどとは、露ほども考えていなかった。
   




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