ヒ ト ガ タ   

 彼女は人形であった。
 人間に作られた、人間のための人形であった。

 それは人の形をしていても人間でないことは、誰でも知っている事だ。人を喜ばせ満足をさせ、人に快楽を与える道具。人間に似た表情を浮かべる事があっても、それは感情からきたものではない。あくまでモノであり、それ故、それにほだされて情を傾けるのは愚かな所業だ、といわれる。
 しかし、私はそうは思わない。何故なら私は、彼等のことを知っているから。


 彼は世間一般で言われるように、人と人形との区別が付かないほど愚鈍な男でもなければ、また色情に溺れて自ら身を滅ぼすような男でもなかった。
 人に優しく接し、温かく、また時にはとても冷静に状況を判断できる人間であった。
 私は、彼を良く知っていた。
 だからこそ、はっきりと断言する事ができる。
 彼は、愚かな人間ではなかった。人を喜ばせ金を儲ける為に人形が何をするものか知っていたし、実際多くの人間たちがそうであるように、身を持って体験した事もあっただろう。
 それでも彼は、心配する私に向かってこう言い切ったのだ。

 彼女は人形なんかじゃないよ、と。

 彼女の事は、彼から詳しく聞いている。
 美しく清楚で、それまでの仕事のことを思わせない白さといつ壊れるとも知れない脆さが混在しているようだ、と彼はよく言っていた。それはそうだろう、と話を聞きながら私は思った。
 人形は人形。
 そうあるように、人が心奪われるような美しさを兼ね備えているように作られたもの。人間が考え得る限りの美の限りを尽くした、正に美しさの結晶なのだ。
 彼も、この人形の為に身を滅ぼしてしまうのではないか、とそう思った。
 だから、忠告したのだ。

 心酔するな。それはただの人形、感情も何もない人形なのだ、と。

 彼は笑った。
 心配するなと答え、先ほどの言葉を私に投げたのだ。


 彼が彼女と出逢ったのは、ある薄汚い裏路地でだった、と聞く。
 長年の仕事で客に飽きられ、商品にならなくなったとして捨てられたらしい。そうやって打ち捨てられた人形は数多くあり、彼女もその一つだと考えて間違いはないだろう。
 用済みとばかりに打ち捨てられていた彼女を、彼は助けたのだ。
 モノと言えど人型、人型をしているといっても所詮はモノ。
 そのとき、彼が彼女を助けることに躊躇したのかどうかは、定かではない。私が知るのは、最終的には彼が彼女を助けたという事実だけだ。

 人形である彼女を世話し、動けるようになるまで面倒を見たのは、見返りを求めていたからではないか。
 そういう人は多く存在するだろう。
 しかし、彼は決してそんなことは考えていなかった。
 後日、再び体の動きを取り戻した彼女が、彼に仕えたいと申し出た時に、やめてくれ、と答えたことからもそれは明らかだろう。その言葉が彼女の本能から出てきたものか、それとも純粋に彼に感謝して――そういった感情があったかどうか、今となっては定かではないのだが――言ったものか、それは分からない。ともかく彼は、彼女の申し出を断った。
 その理由は、説明されなくとも良く分かる。
 彼は昔から、上下関係というものが苦手だった。特に誰かの上に立つのが嫌いで、そういった感情もあって彼女の申し出を断ったのだろう。
 彼女にその事が分かっていたかどうか、それは分からない。しかし、やめてくれ、と続けてきた言葉は、理解したようだ。

 行く場所がないならば、ココに居てくれても構わない。僕は君が欲しくて助けたわけじゃないんだ。だから、恩なんて感じずに好きにしていてくれ、とそう続けた。

 この言葉を聞いた彼女は、戸惑ったようだ。
 人の命令を聞き、従う事しか知らなかった彼女は憐れだ、と彼は後になって私に言った。
 どうするべきなのか分からず、その解答を自ら考え出す事が出来なかった彼女は結局、彼のところに止まる事となった。それは自らの居場所をなくし、また新たに見つけ出す事の出来ない彼女には当然の事だったのかもしれない。
 そして、彼もその可能性には思い至っていたのか、彼女が逗留することに反対する事はしなかった。
 数日経って、彼女は段々と彼が家で行っていた仕事を覚え、自ら率先的に行うようになっていった。
 それは彼女にとって、新しく居場所を探す行為の一環だったのかもしれない。ともかく彼女は彼の家で仕事を覚え、その場所へと馴染んでいった。
 それでも、彼らの関係はあくまで、家主と居候に過ぎなかったのだ。
 居候である彼女は自らの領域を広げようとはせず、彼も、今にもなくなってしまいそうなほど小さな彼女の領域を、壊そうとはしなかった。だからそのバランスは、何も怒らなければそのままずっと保たれていくと思われていたし、彼らもそう思っていたはずだ。
 そして私も、彼の話を聞いている限りでは、そう思っていた。

 バランスが崩れたのは、彼が絶望に打ちひしがれて帰ってきたある日のことだった。
 その理由は、私は知らない。
 才能がある彼は妬まれることも多かったようだし、様々な事を押し付けられることも良くあったからだ。どれが原因とも知れず、どれもが原因だったかもしれない。
 ただ事実だけを述べるなら、打ちひしがれた彼を支えたのが、彼女だったのだ。
 彼女には元より、彼しかいなかった。そしてこのことで、彼にも彼女しか居なくなったのだろう。これだけで、今見れば危うかった均等はあっさりと崩れ、あくまでそれは彼の中での変化にしか過ぎなかったのだが……新しい関係となったのだ。
 そのことで、彼等を批判する人が出てきたことは、不思議な事ではない。
 実際、私もそれは良くないことだと思ったし、彼に幾度かその旨を告げたこともある。
 しかし、彼は気にしなかった。

 これは僕の判断だから。ありえないとは思うけれど、もし僕が彼女に騙されていたのだとしても、僕は彼女を恨むつもりはないし、自業自得なんだと思う。だから、これ以上僕を心配しないでくれ、と。

 そういう彼に、私は、それ以上何かを言う事は出来なかった。

 外出することも、多くなった。一人では決して外に出ようとしない彼女に外の世界を見せてあげたくなったのか、彼は彼女に帽子を被らせて外へと連れ出したのだ。
 額にある人形の証を隠すための帽子だったが、彼女はソレを嫌がった。無理強いをすることが出来なかった彼は結局、最終的には帽子を被らないで良いよと言ってしまった為、多くの人が彼女が人形であることを知った。
 そして、彼に誹謗中傷を与えたのだ。

 私はそれを、ただ見ていた。
 彼女は彼を庇おうとしていた。
 そして彼は、ただ苦笑するように笑っただけだった。

 彼が死んだのは、それから三年ばかりしてからだった。
  元々そう体が丈夫ではなかった彼の事、仕事での忙しさと人々からの批判の声に疲れていたのは見ていて分かったが、私は何もしなかったし、出来なかった。
 彼が倒れて数ヶ月。
 彼女が甲斐甲斐しく世話をしたにもかかわらず、息を引き取った。まだ若かった。

 葬式には、多くの人が集まった。人形のことを差し引いても人望のあった彼のこと、葬式では多くの人が彼の死を惜しんでいた。

 彼女は、じっと傍に佇んでいた。
 土に埋められていく彼を長い時間ずっと見詰めていて、人々が避けるようにして立ち去ったところで、一粒だけ流れ落ちた涙が、妙に印象的だった。

 それから、更に数日後。
 彼女はその動きを止めた。
 人で言えば、自殺、という事になるのだろう。
 人とは違い故意に壊されなければいつまででも動ける人形ではあったが、彼女は、彼の後を追うようにして死んでいった。私は抜け殻になってしまったその人形を、彼の直ぐ隣に埋めてやった。


 人形とは、人とは何なのだろう。
 今でも、そう考える事がある。
 特に、人形として扱われている人形を見ると、余計に疑問に思うのだ。

 人々は言う。

 人形に心囚われるのが愚かだ、と。
 彼らはあくまでも人形であり、幾ら人間に見えても人間ではない。感情だってないし、心囚われたとしても、なんの見返りもない。
 だから、一つの人形に心囚われてソレに思い入れることは、自らの人生を棒に振るようなものだ、と。

 けれど、本当にそうなのだろうか。

 彼女には、感情がなかったのか。
 そもそも感情とは、人間とは何だというのか。多くの人々が言うように、人間と人形を、はっきりと区別する事はできるのだろうか。

 分からない。

 それでも、一つだけ思うのは。

 彼女が見せた涙だけは、真実を伝えているのだろう、ということだ。



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