魅惑の牧場殺人事件  

 彼は決意した。
 奴を殺そう。


             *


 某月某日、男が死んだ。
 閉じきった部屋の中。男以外に出入りした様子もなかった。
 死因は、毒だった。毒は、男が直前まで食べていたと思われる食事に含まれていた。だが、食中毒ではなかった。除草剤としておいてあったひそ砒素が使われていた。
 僕達警察への挑戦なのだろうか。殺人であることを、隠そうともしていなかった。


             *


 親殺しをされて、黙っていられる彼ではなかった。
 夜中につんざ劈くような悲鳴が聞こえて、彼の仲間は身を震わせた。あまり顔をあわせることもなかった親であったが、その恐怖の声は、彼らを震えさせるのに十分だった。彼らは怯えた。
 怯え震える彼らに向かって、彼は声を上げた。立ち上がろう、と。ここから逃げ出して、自由になろう、といった。
 そのためには、奴を殺す必要があった。
 彼は、その役目を引き受けることにした。
 自分が奴を殺す。それから、皆を救うから。だから、協力してくれ、といった。
 彼が一人逃げ出すのではないかと、心配する仲間もいた。だが、別の仲間が言った。
 どうせ、誰かがやらなくちゃいけない。全員で逃げ出せば、直ぐに見つかる。彼一人ならば、まだ見つからないかもしれない。逃げられる可能性も有る。だが、信じずにこの状態のまますごすのか。その方がいかにも、意味がないのではないか。どうだ、というその仲間に、彼らはやっと同意した。
 奴が来た時、彼らは協力して恐慌状態を作り出した。そのことに奴は慌て、彼はその手の隙間から零れ落ちるように、逃げ出した。
 仲間達の声を後にして、彼は必死で走った。走り続けた。
 仲間を助けるためだと、彼らの叫び声に耳を塞いだ。


             *


その男は、あまり人気があるとはいえなかった。
 なんだか陰鬱なところがあり、酒をよく飲み、暴力を振るった。穏やかなこの田舎に住む人間というよりは、どこか都会の裏町で飲んだくれているような、そんなタイプだった。
 周囲の人間とも交流がなく、影で何をしているか分からない。
 変な噂も、多くあった。
 僕が聞いた限りでは……いや、証拠がないことは、言わないで置こう。


             *


 仲間たちの声が聞こえなくなって、彼はようやく立ち止まった。
 荒い息を吐き、辺りを見回す。見たことのないところだった。
 とりあえず物陰に隠れてしばらく待っていると、奴が帰ってきた。大柄な奴は彼に気付くことなく、疲れた様子で部屋の奥へと入っていった。
 どうするかを迷って、足音を立てないように、そっと、奥の部屋へと入り込む。
木製の床が、微かに音を立てた。
 予想以上に大きな音がして、彼は驚いて足を引いたが、奴は気が付かなかったらしい。
 しばし固まってから、彼はそっと足を踏み出した。ちらちらと奴の様子を見ながら、彼は中へと転がり込んだ。音を立てないように注意しながら、部屋の奥にあった物陰に隠れる。
 何も気付かない様子で、奴は大きな足音を立てながら奥へと進み、がぶがぶと水を飲んだ。くしゃみを一つして鼻を啜り、ふざけるなよなどと悪態を吐きながら、隠れていた彼の前を通り過ぎ、再び外へと出て行く。
 それを見送って、彼はそっと部屋の中へと出た。ぐるりと辺りを見回して、軽く息を吐く。
 さあ、どうするべきか。
 この部屋にあるものを使って、奴に気付かれないように、奴を殺す。その方法を考えなくてはならない。
 しかし、困ったことに彼には力がない。
 取っ組み合いなどになれば、確実に勝てないだろう。不意をついて刺し殺そうにも、彼には、奴に気付かれずそうできる自信はなかった。
 どうするか。悩み唸っていると、外から楽しそうな歌が聞こえてきた。心惹かれた彼は開いている窓のところまで行き、あの、と外に向かって声を掛けた。


「あら、可愛い坊や、見ない顔ね」


 歌うように言われて、彼は、坊やじゃないと小さな声で反論しながらも、窓に身を乗り出してこちらを見てくる彼女たちを見た。
 綺麗だと思った。何度も毛をすいて、ぼんやりと彼女たちを見上げている彼を見てくすりと笑った。

「あなた、何をしているの。お名前は?」


 聞かれて、彼は親の事、仲間たちのことを答えた。名前は、まだないのだとも言った。
 彼女たちは囁き合うように言葉を交わして、分かった分かったわ、と言葉を繰り返して言ってきた。
 楽しそうな、歌うような言葉だった。


「協力してあげるわ。私達も、あの人に脅かされるのは、もう、真っ平だから」


 やはり、歌うような口調だった。彼女たちの言葉に、本当に? と聞き返せば、彼女たちはさざめくように笑いながら、頷いた。
 そして、さあさあ、と言葉を続ける。


「あいつが帰ってくるわよ。こっちにおいで、手伝ってあげる」


 彼女たちに言われて、窓から入ってきた彼女たちのあとについて部屋の奥へと走った。指示された通りに、キッチンまで入り、隠れる。
 アレを使うと良いわ、私達が、気をそらしているうちに。
 そのように言われて、彼は何度か頷いた。彼女たちが指したのは、除草剤という奴だった。あれを、奴の食べ物につければ良い。そういうことだろう。
 戻ってきた奴は、悪態を吐きながら適当にパンを引っ張り出し、それをテーブルに置いた。
 がたんと音を立てて椅子に座り一口かじったところで、がしゃん、と何かが落ちる音がした。


             *


上司と一緒に現場を見渡しながら、僕は口元にハンカチを当てた。窓を開けて良いかと尋ね、許可を受けて窓を開ける。
 爽やかな空気を部屋の中に入れて、除草剤のにおいを追い出す。
 くらくらする頭を抑えて外を見てみると、二羽の鳥がさえずっているのが見えた。
 あの鳥は……ナイチンゲールだろうか。殺人現場に似合わない、平和な風景だ。


             *


 彼女たちの笑い声が聞こえる。
 男が毒づいて、手近にあったスプレーのようなものを手にした。そして、彼女たちを捕まえようと出て行くのを見て、彼は物陰から身を乗り出した。
 テーブルまで上れるように道を作ってから、大きな除草剤の入れ物を倒すと、変なにおいがした。除草剤を足につけて、パンの上にくっつける。奴が毒づきながら戻ってくる音が聞こえて、彼は慌ててテーブルから飛び降りると、再び物陰に隠れた。
 男が、床に広がっている除草剤を見て眉をしかめ、何か声を上げた。しばし辺りを見回してから、この惨状のひどさに諦めたらしい。
 パンを持って先の部屋へ戻り、食べ初め……死ぬまでに、そう時間は掛からなかった。


 奴が動かなくなってから、彼はそうっと物陰から出た。
 奴の近くまで行き、その顔をけってみたり、突付いてみたり、最後には上に乗って飛び跳ねてみたが、反応はなかった。
 やった、という彼の言葉に、外にうまく逃げていたのか、帰ってきた彼女たちも歓声を上げた。そして、彼女たちにも手伝ってもらって、仲間たちがいる檻の鍵を探し、運んだ。
 扉を開けるのにはまた一苦労したけれど、それはもう、たいした事ではなかった。


 仲間とともに、外に出た。
 そこで彼は始めて、この世界は、広い空と緑で出来ているのだと知ったのだった。  


             *


ひよこが、大量に脱走している。


殺人のあった牧場で、最もおかしいところはそこだった。
 現場に着いたときに見えた黄色い小さな影が、それだったのかもしれない。だが、今から探しても、もう見つからないことは確実だ。
 そう上司に報告したら、ひよこから事件について聞けないだろう、と思いっきり笑われた。もしかしたら、ひよこを掌にのせて事情聴取する僕の姿でも、思い浮かべたのかもしれない。
 ひよこに囲まれる中、一匹一匹を優しく拾い上げて、「今回はご愁傷様でした」と撫でながら話を聞くのだ。
 それは魅惑的な想像だった、無理だけど。


 犯人は、まだ見つかっていない。



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