吹雪の夜は   

 ああ、いや、大したことじゃないんだよ。ただ、こういう夜、吹雪の夜にはどうしても、思い出してしまう話があってね。
 僕としては、好きな話じゃないんだ。
 だから、ねぇ。気にしないで食べてくれよ。君みたいにこの村に流れ着いた人は、大抵、腹が減っているもんさ。吹雪によって毎年のように道が断絶されて、春になって雪が解けるまでは外に出ることは出来ない。
 大変だったろう、この村に着くまで。
 いや、村とはいえないよね。僕の家以外に、この近くにはほとんど何も無いんだからさ。
 でも、一本道とはいえ、この先に人が住んでるかどうか、怪しんだだろうね。ああ、まあ僕もその口だったから、良く分かるんだよ。この先に村があるって確信がなけりゃ、ここまでやってこれなかったさ。


 ……何、外の音が気になるって?


 そうかい、この話を知らなくても気になるものなのか。確かにまあ、風は強いし、ドアもがたがた鳴る。うるさいったらないね。でもまあ、あの話を知らなきゃ、タダの騒音さ。幸せなもんさね。
 なんだ、さっきから話話って、気になるっていうのか。
 ははは、そうかもしれない。ごめんごめん、僕は余りにも何も考えていなかったかもしれないね。あの話、なんて意味深な言葉を連呼されたら、そりゃあ気になるってもんだ。確かに。
 しかしね、知らないほうがいいよ。
 知らないで、さっさと寝てしまったほうが良いよ。吹雪の音なんかに、惑わされたりなんかしないでさ。



 なんだい、寝れないのか?
 さっきからがさごそがさごそ、と。気になるッたりゃありゃしない。疲れてるんだろ、眠いならさっさと寝なよ。
 ……何、嵐もそうだが、話が気になる?
 なに子供みたいな事を言って、やめてくれやめてくれ、僕は語りたくは……。
 わかった、分かったよ。そんなに睨まないでくれ。別に、僕は意地悪しているわけじゃないんだから。
 わかった、話してやるよ。
 ただ、それ以上は、知らないからね。


 この話はね、ものすごく古い話ってわけでもないんだよ。比較的、最近らしい。まあ、君にとっては昔話のようにしか聞こえないだろうけど。
 その時、この村にはある女性がいた。何、特別美しい女性って訳でもないよ。一般的な、どこにでもいるような女性さ。こう、黒い髪が長くて、綺麗でね……いやなに、日本人的な女性だったって言いたいんだよ。疑わしい目をするな。
 それで、その女性はこの村で生まれて、この村で育ったんだ。
 だから、この村で生きていく事になんら、疑問も感じていなかっただろうね。そんな彼女は、ある日出逢った男性と結婚して……一人の子供を産んだんだ。黒く柔らかい髪は彼女の血筋、茶色を帯びた大きな瞳は彼の血筋だった。
 こんな小さな村ではね、一人子供が生まれると、皆でお祝いするんだ。こんな、可愛い子が、こんな素敵な子供が生まれたんだよ。皆で力をあわせて、子供を守っていきましょう、ってね。だから、その子がどんな子だったのか、あの時に生きていた人は今でも覚えているそうだよ。とても、可愛い子供だったってね。
 あはは、古臭い風習だろ?
 でもね、これはこれで素晴らしいものがあるんだよ。村が一体になって子供を育てるなんて、今じゃ余り見られるものじゃないしね。
 何、そんな話をして欲しいわけじゃない?
 ごもっとも。しょうがない、話を続けよう。
 その女性と男性は、この村の少し外れに住んでいた。そんなことはどうでもいいって顔をしないでくれよ。僕はね、この話を忠実に再現してあげてるだけなんだから。
 少し古い家でね……いや、まあこの家も古いと思うだろうが、この村では新しい方なんだよ。だから、この村で古い家と言われたら、本当に古いんだ。ボロ屋、と言った方が正しいんじゃないかな。
 ともかく、そんな家にしか住めないんだからね、貧乏だった。
 村全体だってそんな裕福なわけじゃないから、少し米の収穫率が下がると、男性のほとんどは出稼ぎに出て行くようなところさ。
 貧乏なこの夫婦にとって、ある年に起こった不作は、致命的なものだった。食事を切り詰めて、近くの家……とは言っても一番近い家でも歩いて十分はかかるんだが、近くの家に食物を分けてもらったりしてね、何とか切り抜けようとしたんだって。それでもね、限界はあるんだよな。
 母乳が出なくちゃ、赤ん坊だって飢え死にしてしまうし。そんな状況で、男の方は出稼ぎに行かないわけにはいかないだろう? だから、男は出稼ぎに出かけたんだ。この山の麓にある小さな町を抜けてね、働き口のありそうな都会まで……。大変な道のりだっただろうね。
 村に残された、彼女達にとっても……ね。
 男が出稼ぎに行ってから、少しだけ、暮らし向きは楽になったみたいだよ。ただそれは金銭的な問題で、彼は家に帰ってくることは出来なくなってしまったんだ。何故って、家に帰ったら仕送りはなくなってしまって、また苦しい生活に戻ってしまうんだから。
 だから、彼は家に帰れなかった。
 そうなれば、家の畑を耕すのは彼女の役目。まだまだ小さい赤ん坊を背負って、畑を耕すのは大変な重労働だったろうね。かと言って、それをやめるわけにはいかないし。


 そんな辛い生活がしばらく続いて、そのうち、冬が来た。
 そう、こんな吹雪の日々が、ね。


 畑には雪が積もり、いや、それ以上に自分の家が大変だったかもしれないね。都会から来た君は知らないかもしれないけど、雪っていうのは、ものすごく重いんだ。雪を屋根から下ろすのを怠っていたら、あっという間に家は潰れてしまう。全く、恐ろしいもんだよ。
 でも、彼女にとってそれ以上に大変だったのは、畑から取れた食料が余りに少なかった事だろう。
 分かると思うが、こんな吹雪の日に外に食料を求めて出て行くなんて出来ないよ。だから、こういった吹雪になる前に食料をきっちり確保しておかなくてはならなかったんだ。それなのに、彼女はそうする事が出来なかった。
 理由は単純。
 彼女の家だけでなく、周囲の家でも収穫量は少なかったんだ。
 村全体で、支えあう。でも、それにも限界はあるんだ。村全体が苦しければ、支えあうことすら出来なくなっていく。
 ……残酷だと、思うかい?
 僕は、そうは思わないよ。いや、むしろそうであって当然だって思うね。だって、他の人を助けたら自分は死んでしまうんだよ。そんな状況下で、僕だったら、助けを求める誰かさんを助けることなんてできない。
 自分は、死にたくないからね。
 多分、この村にいた人達も僕と同じ考えだったのさ。


 食料が底を尽いて、赤ん坊にやれる母乳も、出なくなって。
 女の人は焦っただろうね。せめて、この子だけでも。自分はどうでもいいから、この子だけでも救ってやりたいと、そう思ったんだろう。そうじゃなかったら、適当なところで子供を殺してしまえばいいんだ。そうすれば、もしかしたら、食料も春までもったかもしれない。春までもたなくても、なんとか耐え抜けたかもしれない。例え赤ん坊を殺していたとしても、誰も攻めはしなかっただろうし。
 彼女が生きる可能性は、零じゃなかったはずなんだ。それなのに、彼女は赤ん坊を生かすことを考えた。
 そして、彼女は家にある布を全部使って自分と、特に赤ん坊を厳重に包み込むと、吹雪の中に、出て行ったんだ……。


 ああ、そうだろうね。
 無謀、って言うべきなんだろうよ。
 なんたって、周りの家にも余裕がないって事は、良く分かっていたはずなんだからね。
 それでも、彼女は出て行ったんだよ。
 赤ん坊を、助けたい一心でね。


 痛い風だった。
 寒い、なんてものじゃない。
 肌に吹き付けてくる冷たい雪のせいで、どんどん感覚は無くなっていってしまう。今みたいなひどい吹雪だったから、目の前もまともに見ることが出来なくて、彼女は赤ん坊を抱いたまま、手で道を探りながら進んでいったんだ。両端には、積み上げられた雪があるはずだから、それに従って行けばいいってね。
 でも、そんな甘くは無いんだよ。
 雪の恐ろしさを、彼女は本当に知っていたのかな。普通の天気ならそこまで遠くは感じないだろう道も、吹雪の中では足も進まない。息だって、マトモに吸うことさえできない。
 そんな中で延々と歩いていって、彼女はようやく、隣の家に着いたんだ。


 とん、とん。とん、とん。
 何度か扉を叩いて、助けてください、と声を掛けた。


 助けてください、助けてください。もう、食べるものが無いんです。子供も、死にそうなんです。助けてください、お願いします、助けてください。


 幾度か繰り返した後、扉の先から、ようやく返事があったんだ。


 ごめんなさい、ごめんなさいね。私達にも、余裕はないのよ。食べるものはあげられないけど、ここで温まって、早く帰ったほうがいいんじゃないの。


 そうですか、そうなんですか。それなら、別の家に行きます。別の家に助けてもらいます、ありがとうございました。


 頭を垂れて、別の家に行く。そして、同じ事を繰り返していったんだ。


 助けてください、助けてください。本当に、助けてください、子供が、子供が死にそうなんです。お願いします、食べ物を、ほんの少しでいいから、分けてください。


 お願いします、お願いします。


 助けてください、助けてください。
 助けてください、食べ物を下さい、お願いします、お願いします。
 助けてください、食べ物を下さい。


 この子を、助けてください。


 何件回っても、返事は同じだった。


 そのうち、手に抱いていた子供の首が落ちて、段々と、冷たくなっていったのを感じたの。


 死んだ。ああ、死んでしまった。
 私のせいだ。食べ物が無かったせいだ。
 死んだ、死んだ、死んだ、死んだ。私の子が、私の愛しい子が、たった一人の子供が。死んだ。死んでしまった。


 死んだんだ。


 それでも、女性は家を回り続けた。
 助けてください、この子を、助けてくださいって。死んだ子供を抱きしめて。強く強く、絶対離してやるものかというように、強く、抱きしめてね。


 助けてください、助けてください。食料が無いんです。
 この子が、死にそうなんです。
 食べ物を、分けてください。助けてください。
 ほんの少しだけでも結構です、お願いします、助けてください。


 ……タスケテクダサイ。


 吹雪の夜が明けて、雪がやんだあと、村の人たちは流石に心配になってね、彼女の家に向かったんだ。
 でも、そこにはもう、何も無かった。雪の重さで潰れたんだよ、家がね。
 そして、彼女の姿も、赤ん坊の姿も、どこにも無かった。
 道の途中で、寒さで倒れたんじゃないかと思ってね、皆探したんだよ。必死に。
 それでも、見つからなかった。

 跡形も無く、消えちまったんだよ。


 それ以来、ずっとさ。
 こういった吹雪の夜になると、彼女が助けを求めてやってくるんだよ。


 タスケテクダサイ、タスケテクダサイって。


 何、どうしたんだい。
 ああ、扉を叩く音が聞こえるって? 
 何、気にするほどの事じゃないさ。雪が、扉にぶつかる音だよ。



 そして、彼女が。
 今年も、僕に助けを求めに来たんだ。
 今更になって戻って来た、夫の所にね。



 ごめんごめん、別に君を巻き込むつもりはなかったんだけど。  
 でも、しょうがないよね。
 僕は、彼女を助けないわけには、行かないんだから。


 彼女に、何かあげないわけにはいかないんだから、ね。



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