凍 れ る 夢 (後)  

 それは、長い旅でした。


 戦争が終わっても怪我がなかなか治らずに他の人々から遅れを取って歩いていた男性は、いつの間にか他の人々ともはぐれてしまっていたのです。
 まるでいつまでも続くのではないかと思われる一本の道を、倒れ付した他の人を乗り越え足を引き摺り、男性は歩いて行きました。


 そしてようやく、彼はあの町に帰って来ました。
 驚いて出迎えた友人に歓迎され、暖かな食事を分け与えてもらい、復興しつつある病院で簡単な手当てを受けて。
 周囲の人々の熱狂的とも言える喜びがある程度収まってから、男性は不思議そうに首を捻りました。


 どうして、彼女はいないんだい?


 それを聞いた町の人々は、悲しそうな顔をして男性に魔女のことを説明しました。魔女からもらった薬を飲んだらしい女性が、長い眠りについてしまい、ずっと目覚めないのだという事を説明しました。


 男性は、驚きました。
 驚いた顔をしてしばらく硬直し、その後には怒ったような顔になりました。


 どうして、どうしてそんな事に!


 憤り叫んで、男性は女性の家に走りました。
 女性を起こそうと何度も揺すり、呼びかけますが、ぐっすりと眠り込んでいる女性はほんの少しも反応しません。
 しばらく揺すり続けた男性もやがて諦めて、反応してくれよと呟きながら、そっと肩を落としました。


 そして、ふと気が付きます。


 女性が左手の指にはめていたはずの指輪が、有りません。
 男性からもらって直ぐにはめられた女性の指輪は、魔女の家から帰ってきた時には無くなっていたと彼らの友人は言いました。


 魔女は、『料金』を要求する。


 まだ子供だった頃に言われた事を思い出して、男性は納得しました。
 指輪は、その『料金』にとられたのだろう。
 ならば、それに値する『料金』になるものと、彼女を元に戻す為の『料金』を持って魔女の元に行けば良い。一体幾らになるか知らないが、女性を再び目覚めさせることが出来るなら、この家がなくなってしまっても良い。
 そう思って、男性は『料金』になりそうな物を幾つも袋に詰めて、家を出ました。


 女性と同じ道を通り、しかしその目は怒りにぎらぎらと煮え滾った様子で、男性はずんずんとその道を進んでいきました。そして、あの小さな、影の落ちる家の所までやって来たのでした。


 どんどん、と強く扉を叩きます。
 しかし、反応がありません。
 その事にイライラとして更に強く扉を叩こうとした時、ぎいっと扉が勝手に開きました。一瞬だけ戸惑ってすぐに気を取り直し、ずかずかと家の中に入っていきます。
 そして暗がりに沈むようにしてあるベールに向かって、おい、と声を掛けました。


 おい、おい。お前が魔女だな? お前が、あいつをあんな目に合わせたんだな?


 彼にしては珍しい、怒りに任せた声でした。
 その事を知ってか知らずか、魔女は落ちついた声で、そうだよ、と返事をします。
 冷たい声では有りませんが、女性に語りかけたような包み込むような声でも有りません。


 ならば、お前なら知っているはずだろう、彼女を元に戻す方法を。彼女を目覚めさせる方法を。金目のものなら、持ってきた。だから、彼女を元に戻せ。戻してくれ。


 そう、男性は魔女に言いました。
 怒鳴りつけるように、荒々しい声でそう言いました。
 深い闇のように濃い影がベールの向こうで揺らめいて、しかしな、と声が響きます。


 幾ら金を積まれたからと言って、あの女を元に戻す事は出来まいよ。あの薬は彼女の意思に従って働く。彼女が夢から覚めたいと思わなければ、元に戻る事はありえぬ。


 耳元で囁かれたかのように、魔女の冷たい声が響きます。
 それを聞いてそんな、と文句を言いかけた彼の言葉を遮って、魔女は


 まあ……。


 と声を上げました。


 まあ、それだけの金があるのに、何の報酬もなく返すのも私の名が廃るってもんだ。だから、これをやろう。


 そう言って投げてきたのは、小さな、銀の鍍金をした指輪でした。
 くるりと手の中で回してから内側を見て、女性のつけていたものだと確認します。


 それで、十分だろう。さっさと帰りな。


 小さな声で、魔女が囁きました。



 まだまだ復興途中の町をぼんやりと眺めながら、男性は座っていました。
 魔女のところから帰ってきてから数ヶ月。
 未だに女性は目を覚ましていません。
 昨日の結婚記念日には、女性の細い指に例の指輪を嵌めてあげてから一人酒を持ち出して、女性の穏やかな顔を眺めながら飲んでいました。


 それでもやはり、彼女は目を覚ましませんでした。


 かた、と音がして、男性は目を覚ましました。
 どうやら、昨夜眠れなかった為にいつの間にやら眠ってしまっていたようです。
 しかし、一体何が音を立てたのだろうと、男性は辺りを見回しました。


 そして、扉のそばに、ぼんやりとした顔で立っている女性を見つけました。
 そして、しばらくきょとんとした顔をしていた男性は、ゆっくりと、微笑みました。
 それを見て、女性もようやく何かを理解した顔で微笑みます。


 そして二人は、


 おはよう、と。


 囁きあうように、呟きました。

あとがき〜〜
ええっと、襟懐のナツヤがひそっと読んでいた本です。
確認しながら書いていないので。
実はひっそり違ったりする気がしなくもないような気がする。
とりあえず、こんな感じでした。

←(凍れる夢・前)



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