故 郷  

 私には今、見たい風景がある。
 昔々の記憶のなかに埋もれていた故郷の風景を、ふと思い出したのだ。
 故郷をすて都会に出た私は、ある程度の生活を手にいれる事ができ、それなりに満足していた。それでもその風景を思い出したのは、きっと父母からの手紙を手に取ったからだろう。

 私が目覚めるのはいつも、明るく大きな太陽が姿をあらわす前だった。大急ぎで着替えて、父母にはなにも言わずに外に飛び出して行ったものだった。朝の湿気を含んだ空気が頬をなで、肺の中に送り込まれるともう、私の目はしっかりと覚めていた。
 直ぐ目の前に広がる山に入っていくと、探検家の気分になった。道の作られていない所をあえて進んでいくので、朝露をたっぷり含んだ草が私の足を打った。木々の間から落ちてくる光は眩いカーテンのように見え、もやもやとした煙が視界に掛かっていた。今思うとあれは、霧かなにかだったのだろう。そのような区別もつかない程に私は幼かったのだ。
 しばらくの間、木々の間を駆けて行く。すると、私は広い花畑に出る事となった。初めてその花畑を見たときに考えた事は、一体幾つの花束を作り人に渡す事ができるのか、という事だった。ともかく、小さな私にとって花畑は、無限に広がるのではと思えるほどに大きな所だったのだ。
 毎日そこに行くと、花々の間から子狐が飛び出してくる。まだ学校に行く歳ではなかったし、兄弟もいなかった私にとっては大切な友達だった。二匹の、多分兄弟だった子狐達と花畑の中を駆け回って、疲れたらその場に寝転ぶ。その様な事を繰り返していると、親狐が木々の間からちょこっと顔を覗かせて子供を呼ぶ。二匹は大人しく、それでも名残惜しそうに私の方を見ながら走り去って行ったものだった。
 子狐が帰った後、私は小走りになって家へ戻る。一人になった途端に、いつも家に戻れなくなるのではないか、木々に捕まって食べられるのではないかという不安が胸に押し寄せてくるからだった。
 その頃には太陽が二つ分ほど上がっていて、目覚めの早い鳥達が木々の間を楽しげに歌いながら飛び回っていた。それを聞くと先ほどの不安も消え、何時の間にかゆっくりとした歩調になって名残惜しく山から出たものだ。
 その後学校へ行くようになると、夕方に遊びに行くようになった。朝よりも深く暗い山は、私には怪物のようにも見え、起きることができた日にはできる限り朝に行くようにした。子狐に会えるのも、朝早くだけだったからだ。
 それでも高校を卒業する頃にもなれば、私は故郷の良さが見えなくなっていた。都会にでて、実力を試したいと思うようになっていたのだ。父母を必死の思いで説得し、一人都会へと足を運んだのだった。

 父母の手紙を貰った私は大急ぎで故郷へと戻った。
 あの狐は、鳥は、木々はまだそのままであって欲しいと思っていたのだ。
 しかし、着いてみるとすでに私の故郷は水の中に埋まっていた。冷たいコンクリートで固められ、大量の水が音を立てながら落ちていく。
 水の為か、私は寒く感じた。
 
 もう一度、あの故郷を見たい。

 それが、私の望だ。
 あの時の親友達が、今だ無事でいてくれたら良いのだが。
 あの木漏れ日がどこかで残っていたら良いのだが。

 あの幸せだった日々に、もう一度戻れたら良いのだが。



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