舞   

「ほんとにねぇ、これぐらいしか出せなくて申し訳ないんだけれども……」
「いや、いいですって本当。十分ですから」

 僕がそう言って手を振ると、丘の下に住むおばあさんは申し訳なさそうにもう一度頭を下げる。そして背を向けて去って行くのを遠く見送ってから、太助さん、とあきれたように声をかけられてぎくりとした。

「あなた分かってるんですか? そうやってるから、毎年毎年金欠なんですよ?」

 やすにそういわれて、でも、と声を上げる。

「あそこのおばあちゃん、病気も長いし息子さんもあんまり出稼ぎから帰ってこないし」
「といって、何年分待ってあげるつもりですか」
「……待てるだけ、かな」

 軽く首をかしげながらそういえば、僕の弟子であるはずなのに最近はうちの帳場役になっているやすが、わざとらしくため息をついた。じとっと半目になって僕のことを見上げるようにしながら、睨み付けてくる。

「太助さん」
「ないものはもらえないでしょうがっ」

 思わず怒鳴りつけるように言えば、彼は再びため息をついてきた。
 確かに、僕の収入は年に一度、治療をした人からもらえるものだけだし、本来ならばこの年の瀬にまとめて薬代と治療費をもらうものなんだけれども、こうやって何年もその料金をためている人がこの村には多い。そうすれば当然僕の収入に直接影響があるわけで、村のみんなに無料奉仕していることになるのだが、でも、払えないのなら仕方がないじゃないか。こう収入が少ないと買える薬にも制限が出てきてしまうが、その場合はまた借金でもして……

「太助さん、足りない分は俺が薬草でも採って来て売りますから。来年こそ、勝手に借金作ってくるのやめてくださいね。幾らみんなのためとはいえ、それじゃあ借金地獄に陥るだけなんですし、儲けが出るわけでもないんですから。わかってますよね?」
「……分かってるよ」

 なんだか、最近はやすに思考を読まれすぎな気がする。しかも、口うるさくなってるし。
 はぁとため息を吐いて、今年の収入分を眺める。
 毎度のことだが、このように小さな村では物資……特に米や野菜で支払うことが多い。うち、今度やって来てくれるはずの商人に半分以上を売り払い貨幣に代え、一年間分の薬代とするのだ。少し手間がかかるが、仕方がない。

「そういえば、太助さん。今年からですよね」
「ん、何が?」

 村の人からもらった物資の整理をしていた彼にきょとんとして聞き返すと、やすは本気であきれた、という表情を作った。あきれましたね、と声にも出した。
 ……この野郎……。

「忘れたんですか。あなたの大好きな、あやめ様が奉納の舞をするんでしょう」
「……大好きな、は余計じゃないか」
「事実でしょう? 何を今更」
「や、事実とか事実じゃないとか、そういう問題じゃなくてさ」
「じゃあ、どの問題ですか。ああ、忘れてたっていうのが」
「忘れてないよっ」

 声を荒げて答えれば、にやにやと楽しげな笑みを浮かべられる。かっと頬が熱くなるのを感じながら、何だよ、と聞き返せば「なんでもないですよ」と笑いながら答えられた。

「それで、いくんですか」
「……行くよ」

 むすっとして答えれば、今度こそ本当に、やすに笑われた。

 奉納の舞とは、代々この村の神社にいる巫女が行っているもので、年に一度、年の瀬に行われる。森に近く、いつもは人気のない神社ではあるが、この時ばかりは村中の人が集まるのだ。
 あやめ様は、子供のときからこの舞を練習していた。体があまり丈夫ではない彼女の母親だったから、その舞を受け継ぐのも大変だったそうだ。必死で舞を受け継いで、ほとんど完璧に近くなるのを待っていたかのように、あやめ様の母上は亡くなってしまった。
 しばらくは、あやめ様が舞を行っていた。しかし、ある事故があって舞うことができなくなり、数年間は儀式のみで奉納の舞は行われていなかったのだ。
 今年、事故の後遺症もある一部を除いてほとんどなくなり、過保護だと思われるほどにあやめ様を心配して奉納の舞をやらせなかった神主様も、ようやく許可を出したのだ。長年見ることができなかったあやめ様の舞を、今年久々に、見ることができる。

 だから、少しぐらい僕がうきうきしていても仕方がないと思う。

 日も沈みかける頃。
 あきれた表情のやすをつれて、僕は神社へとやってきた。昔、城下町へと上り医術の修行をしていた時に見た奉納の祭りに比べれば、規模も小さいし最低限のものしかやっていない。この祭りに乗じて何か売ろうとする人だっていないし、舞と神主様が行う儀式以外、見るべきものはない。それでも、村中の人々が集まってくるのだ。
 村の人と笑いながら少し話して、その輪から抜ける。舞が始まりを告げる前にあやめ様と話したかったのだが、準備で忙しいのだろうか、姿が見当たらない。終わった後はみんなに囲まれて話なんてできないだろうし、いや、あやめ様の体調を気にする神主様にいわれて、さっさとおくに引きこもってしまう可能性の方が高いか。そう考えるとやっぱ……
 そんなことを考えながら神社の周辺をうろついていると、前を見ていなかったせいか、誰かにぶつかった。少しよろめき驚いて前を見て、額の辺りを押さえてしゃがみこんでいる女性に、あの、と声をかける。
 ゆっくりと顔を上げた涙目の彼女をみて、あ、と声をあげた。

「あやめ様、なんで……じゃなくて、大丈夫ですか? 怪我とか」

 手を差し伸べ立ち上がらせながら聞けば、少し汚れてしまった衣装の土を払いながら、こくり、と小さくうなずいた。
 よかった、と笑みを浮かべながら答えて、ふと、首をかしげる。

「それで、あやめ様、なんでこんな所に」

 神社の裏側。まさかこんなところにはいないだろうと思いながらも、ぐるりと神社を一周しているところだったので歩いていたのだが。
 僕の言葉に、あやめ様はうつむいてしまった。泣きそうにもみえるその様子に慌てて、いや、と声を上げる。

「べ、別にそれが悪いとか言ってるんじゃなくて、ただ、なんでかなって思って」

 急いで言葉をつむぐ僕をじっとあやめ様は見上げ、あの、と戸惑うように声を出してくれた。

「……こわ、くて」
「怖い?」

 聞き返せば、彼女はぴくっと震えて伺うようにこちらを見上げてくる。その様子がかわいくて、じゃなくて、安心させようと思った僕は、どうしたんですか、と優しく聞いてみることにした。
 するとあやめ様は小さくうなずいて、ああこの頷き方はあやめ様の癖なんだよなぁとかそんなことを考えている僕を見上げて、みんなが、と言葉をつむいだ。

「期待、してますから。私、そんな、うまく舞えないです……だから」

 責任感の強いあやめ様らしい言葉に、思わず苦笑する。そして、大丈夫ですよ、と言葉をかけた。
 子供のころ、一所懸命に練習している彼女の姿を、僕はよく見ていた。あの時の記憶は失われてしまっているかもしれないが、体で覚えたことは、そう簡単に忘れるものではない。
 それに、あの時に見た舞は、

「あやめ様の舞は、すごく、綺麗ですから」

 キレイだった。

 僕の言葉に、あやめ様は驚いた様子でこちらを見上げてきた。そして、大きな黒目がちの目をしばたたかせて……目元をほころばせた。


「いつまでほうけてるんですか。ちゃきっと仕事してください」
「……や、分かってる、けど」
「綺麗だったって言いたいんでしょう? それは分かりました。分かりましたけど、だからって三日間もそうやってぼんやりしていていいと思ってるんですか。新春とはいえまだまだ寒さは続くんですよ、ご老人が体調を崩される可能性もあるし、そん時にあなたがそんなぼやーって馬鹿みたいな顔してていいと思ってるんですか」
「……馬鹿見たいって、あのな」
「だってそうでしょう? 大体、」

 大体、の後にやすがどのような悪口雑言を吐こうとしていたのか、それは分からない。
 なぜなら、戸口のところへとやって来たあやめ様が、あの、と声をかけてきたからだ。途端に口を閉じ戸口へと向かったやすは、悪徳商人のようににこりと笑って、彼女を僕の家の中へと招き入れた。
 そして、こちらへといいながら、僕を奥へと押しやってそこへ茣蓙を引いて座らせる。
 ……まあ、正しい判断ではあるのだが。家主が僕であるという点を除いて。

「それじゃあ、俺はいわれたとおり、薬草採って来ますね」
「え、ちょ、やす」
「採って来ますね?」

 繰り返されて、しばしの沈黙の後に、よろしく、と答えた。
 まあ、うん、やすなりに気を利かせたのだろうが……。こいつの気の利かせ方が、嫌がらせのように思えるのは、僕の気のせいなのだろうか。
 やすが出て行くのを見送って、僕はあやめ様の方へと向き直った。そして、きょろきょろと物珍しそうに、いや実際そうなのだろうけれど、あたりを見回している彼女に苦笑して、それで、と声をかける。
 驚いた表情で僕の方を振り返り首をかしげるあやめ様に、

「どうしたんですか?」

 と問うて見れば、彼女は改まった様子で僕のことを見返して、ぺこっと頭を下げた。

「ありがとう、ございました」

 長い黒髪で、表情が隠れた。どうしてそんなことをいうのかが分からず面食らって、どうしたんですか、と彼女の肩に手を……おこうとして押しとどめ、顔を上げてください、と言葉をつむいだ。

「……どうしたんですか?」

 聞けば、あやめ様は急に顔を上げて、がこっと僕のあごにぶつかった。

「ご、ごめんなさいっ」
「……大丈夫です」

 あごを押さえて小さくうめきながら答え、それで、と続きを促す。そうすればあやめ様は、しばし戸惑った後に、あの、と言葉を続けた。

「奉納の、舞の時。ああいってもらえて、すごく、気が楽になったんです。だから、舞も、まだぜんぜんうまくないんですけど、でも、今までは一番うまく舞えたので、それで……」

 ありがとうございました、と再び頭を下げる彼女に、慌てて首を振った。

「たいしたことないですよ。僕は、思ったこと言っただけですし、それに、」

 言いかけて、ふっと言葉をとめた。
 そして、そんな、頭下げなくていいです、と言い換える。
 顔を上げた彼女に笑って見せると、あやめ様は嬉しそうに少し笑みを見せた。
 さあと立ち上がった彼女を見送るように戸口まで出て、帰路に着こうとしたあやめ様が振り返ってふと首をかしげた。そして、あの、と不思議そうに僕のことを見上げてくる。

「さっき、何、言おうとしたんですか?」

 言われて、しばし戸惑う。じっと僕を見上げてくるあやめ様から目をそらして、綺麗でした、と小さな声でつぶやいて彼女の事を見る。


 横目でみたあやめ様は白い頬を高潮させて、嬉しそうに笑みを浮かべた。



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