笹(当日編)  

「……曇った、な」
「あうー、曇っちゃったよぉ……」


 窓に張り付いた彼女が俺の言葉に呼応するかのようにそう言って、ため息を吐いた。
 その瞬間、彼女の兄であるユキ兄がこちらをぎっと音がしそうな勢いで睨んできたが、別にこのため息は自分のせいではない。むしろ、この妙に疲労しそうな状況に、彼自身の方がため息を吐きたくて仕方がなかった。


「願い叶わなかったよぉ」


 寂しそうな声で言い、再びため息を吐く彼女に、ちょっと待ってと言う前に、当然のように食いついてきたのがユキ兄だった。


「願い事?」


 と不思議そうに声を上げて、読みかけの(多分読むフリをしていただけだが)本を置き妹の方を振り返れば、当然ながら彼女はうん、と哀しそうに頷いた。
 そうすれば当然、この馬鹿兄は何故か彼の方を睨んでくるわけで。


「……俺のせいじゃないですよ」
「ふん」


 両手を挙げて降参するようにそういえば、ユキ兄は何故か鼻を鳴らしてそっぽを向く。
 ああもう。


「あのねー、今日晴れますようにってお願いしたの。だからね、今日腫れたら別のお願いが叶うはずだったのに、晴れなかったからね、だから……」


 お願いが叶わないの、と続ける彼女に苦笑する。
 別に、そういうつもりで「晴れたら」という言葉を発したわけではないのだ。それなのに、そう取られてしまったと言う事実に、苦笑というか失笑せざる終えない。


「ふむ、しかしな、妹よ」


 それにしても、この兄は俺達に遠慮して出て行くつもりはないのか。
 ないだろうな、いや、あるはずがない。
 この人が彼に対して遠慮とかそういう素振りでも見せたら、明日は雪どころか槍でも降ってくるような気がする。


「願いを叶えてもらえないからといって、それが実現しないとは限らないんじゃないのか」


 流石に、妹に対しては優しいらしい。
 不思議そうに首を傾げる彼女に対して、ユキ兄は理知的に見える黒い眼鏡を押し上げ髪をかきあげながら、だから、と言葉を続ける。


「願いを叶えて下さいって頼んでダメだったのは、その相手が願いを叶えてくれないってだけだろう。例えば、まあ今回みたいに天気とかな、そういう自分の力が及ばないものならばともかく、努力すれば何とかなるようなものに対してなら、願いを叶えてもらえなかったからといって、それが実現しないとは限らないだろう」


 分かるか、と続けられて、彼女は曖昧に頷く。
 あまり分かっていなさそうだが。それでも何となく伝わるものはあったのか、彼女は少しだけ気の晴れた表情でこちらを振り返ってく来た。
 そして、へへー、と嬉しそうな笑みを浮かべる。


「よかったねー。大丈夫だって」
「ん、いや、あの」


 俺は、別にそんな心配はして居ないのだが、といえば何か話の方向が変なところへ転がって行きそうな気がして、口を噤んだ。
 すると彼女は彼が同意したものだと思いっきり勘違いして解釈をしたらしく、嬉しそうに彼の腕を掴んで引っ張ってきた。


「……何?」
「外、行きたい。行こうよ」
「は、でも、もう暗くなるぞ?」


 寧ろ、そろそろ帰らなくちゃいけないぐらいの時間なのだが、という文句は、いいんだよー、と気楽に言う彼女に言葉に遮られた。


「星見たいの。夜空がいいの」
「……曇ってるけど」
 思わず呆れた声でそういえば、彼女はむくれた顔をして再び、いいの、と返してきた。


「見えなくてもいいの」


 だから行こうよ、と引っ張られて、彼は小さくため息を吐きながら、わかった、と答えた。
 ユキ兄がこちらを強く睨みつけてくるのを感じながら、苦笑する。


「行こう」
「うん」
 楽しそうに笑って玄関へ向かう彼女を見て、思う。


   願いを叶えてもらえなくても。
 叶える事は、できるのだろう、と。



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