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出会いの時
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ミカと出会ったのはこの街に来て数日後、紹介された研究所での事だった。
真っ白な部屋の中で幾人かの男の中に混じってその滑らかな声を響かせていたことは、今でも記憶に残っている。その研究が好きなのだろうと感じさせる、輝かしい笑顔に一瞬気を惹かれ掛けたが、トオルは直ぐに意識下から彼女を追い出した。
所詮は田舎の、閉鎖的な町だ。
そう思いながら何時もと同じ表情でよろしくと頭を下げた彼に笑顔を向けたのは、予想通りというか、彼女だけだった。それに視線を奪われると同時に、多分彼は、自分の中でその鐘が鳴り響くのを聞いたのだ。
荘厳な鐘が重く、低く、底に響くような、そして高らかな音を鳴らしているのを。
彼の白い陶器の様な滑らかな肌や、色素の薄い茶色い髪は、明らかにこの町の者から浮いていた。ここよりかなり北方の町で生まれた彼は小さな頃は体が弱かったせいもあり、余り日に当たらなかった為か、その白い顔は病的な雰囲気をもたらしている。
親しい人意外とはあまり笑顔で会話をすることもせず、研究に没頭してしまえば周りのことが目に入らなくなってしまう。そういったことが原因で、彼はしょっちゅう誤解されていた。
愛想がない上に面白味もなく、研究に対して真面目で堅実、仲間と一緒に町へ出かけることも無い。それだけでもかなり不信感を買っているにも関わらず、彼の研究のおかげで開発が飛躍的に進むこともあったので、余計に他の研究員に恨まれる。
そういうことが積もり積もった結果であろうか、彼はある日突然、南方のこの町へ飛ばされたのだった。
地元へ戻ろう、とは思わなかった。
元々、唯研究をしたいという欲求の為に博士号を取り、地元で最も研究が盛んに行われている大学に入ったのだ。無理矢理に戻って研究の邪魔をされるぐらいなら、仲間や友人は元より、彼を咎める人のいないこの田舎の地で研究をした方がマシだと思われたし、大して問題はない、と彼は思ったのだ。
様々な研究をしながら、彼はこの閉鎖的な町は人間の脳や感情に関する研究が、国の中でも飛び抜けて進んでいる事に気がついた。医療の技術はあるようなのにあまり活用されず、薬品があるにも関わらずそれをもてあましている雰囲気があるのに、その研究だけは飛び抜けていたのだ。
ここには、自分が学べることがあった。
それに気が付いた時、彼は一種の感動と驚きを持って、研究所にある研究者共通の資料や実験結果、論文などを読み漁った。北方より来て何時の間にかこの町一番の知識人となったにも関わらずまた新しい分野に手を伸ばす彼は、よほどおかしな人物と映ったことだろうと、今でもトオル自身そう思っている。
今まで見たことのなかった論文やそれら研究の全ては、彼にとって面白い物だった。地元では知られていない事も山ほどあり、この町が閉鎖的である事を残念に思うほどだった。
しかし、それらを一人で読んでいくうちに、良く分からない『単語』や『説明』にぶち当たる事がだんだんと多くなった。国で決められている医学用語以外に、この町特有の医学用語があるらしいのだ。説明を探しては見たもののどうにも見つからず、その前後から推測できそうな内容はないかと探すものの、文章全体がそれについての記述である以上一つに絞るのは難しかった。
論文の半ばで行き詰まり、自分で入れた濃いめのブラックコーヒーを飲みながら彼が考え込んでいると、
「どうしたの?」
と不思議そうな声が頭上から降ってきた。
この町へやってきて三週間。
町の人から声を掛けてくるのは、初めてに等しかった。
……いや、意味が分からなくて。
振り返り一瞬だけ彼女の顔を見たトオルは、戸惑いながらもぼそぼそと返事をした。頭の中で必死にその女性の顔から名前を検索し、『ミカ』だったはずだ、と結論を導き出す。
初めて研究所に来た時、自分に笑い掛けてきた奇特な人。
その程度の認識にとどめて、それはねえ、と説明し出す彼女の言葉に耳を傾けた。
「おい、ミカ」
彼女の後ろにいたらしい、体格が良く――といっても、彼に比べたらこの町の男は皆体格が良いのではあるが――ほど良く日に焼けた髪の短い男が、少々しゃがれた特徴的な声で、彼女に呆れた声を掛けた。
しかし、彼女はそれをどうでも良いとばかりに無視し、トオルに説明を続ける。
ここで聞かねば二度とチャンスはない、とばかりに他の所についても質問をし始めたトオルに小さく微笑んでそれに答えて。
延々と続くかと思われるほどに長いその問答が終った頃には、もうトオルの中にあった蟠りは殆ど消失していた。それを見て取ったらしい彼女が、何かあったらまた聞いて、と笑顔で述べ、トオルに背を向ける。
彼らの問答が終わるのを律儀に待っていた男に先に行ってれば良かったのに、と声を掛けると、男はそうはいくか、と返事を返し、今度は二人肩を並べて歩いて行った。
その際に、男はふん、と馬鹿にしたような敵意ある視線をトオルに向けて、
一方で彼女が笑顔で小さく手を振ったのをトオルは無表情で眺めて。
一瞬だけ、淋しいな、と思った。
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