気付きの時(1)   

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 それ以来、彼女は良くトオルに話しかけるようになった。多分、彼が話す北方の科学技術が面白かったからなのだろう。新しい玩具を見つけた子供のように目をキラキラと輝かせて話をねだる彼女を、トオルは変わった人だと思った。
 幾ら自分の知らない話を聞けるからとはいえ、明らかに他の人々から疎外され、またいかにも彼女を心配する男――ナツヤという、昔からの友達なのだと彼女に紹介された――の意見にも耳を貸さないと言うのはおかしいだろう、と思う。
   
 一度だけ、そんな簡単に僕を信用しない方が良いのではないか、と忠告した事があった。ナツヤさんの方がよっぽど僕と言う人間を分かっているようだから、彼の意見に従ったらどうだ、と。  そうすると、彼女は憤慨したようだった。
 自分には人を見る目がないと、そう思っているのかと詰め寄られて、必死でそういう訳ではない、と言った。
「そうじゃないけど、会ったばかりの人に気を許し過ぎだって、僕はそう言っているんだよ」
 確かその頃には、すでに彼女をミカ、と呼び捨てにしていた記憶がある。そして、会ったばかりとは言うものの二ヶ月は経過しようとしていたのだ。
 今更だろうか、と彼は頭の隅で考えた。
 冷静に、また大して表情の変化も見せずにそう言った彼に、彼女は怒ったような表情で人差し指を付きつけてきた。
 研究所の屋上、柔らかな午後の光が緩やかに舞い降りて、涼やかな風が時々、彼女の長い髪をいたずらに弄んでいた。薄い絵の具をひき広げたような空の中に溶け込んでしまうかのように、彼女の細い髪が時々、宙に浮かんだのは良く覚えている。


「私は、自分の目が間違っているとは思っていない。それに、」
 言いながらぐいと指を更に推し進め、接近して来たので、彼は少々背中を仰け反らせる形になった。
 彼女の黒い瞳に、いたずらっぽい光が反射する。
「気を許し過ぎだっていう台詞、あなたには言われたくないな」
 言われて、それもそうか、と思い小さく笑った。
 彼女の事を殆ど知らないのにも関わらず、昔からの知り合いであるかのように接しているのは、彼とて同じことなのだ。


 お陰でナツヤからは疎ましい奴だという目を向けられているのではあるが、トオルはもう、それすらも気にならなくなっていた。
 地元では無理矢理に彼の欠点を見つけ出して嘲笑って来る同僚を過剰に意識し、自分でもどうしようもないぐらい敏感に反応していたのに、それも最近では、同じような現象が自分の中で生じないのだ。それを不思議な事だとしながらも、一方で妙に納得し、当然の事だと受け止めている自分がいるのはおかしな事だった。
 トオルの笑みを見てようやく表情を崩し、ミカが笑顔を見せる。
 研究所には多くの女性が属しており、その中で美人と分類される人は少なかったが、ミカはそこに数えられることはなかった。
 しかしそれでも、トオルは彼女の事を美しくないと感じた事はないし、むしろ指折りの美人よりよほど美しいのではないかと思う事が多々あった。
 特に、このように気を緩ませた瞬間に見る事の出来る柔らかな笑顔は、暖かな陽射しの下で咲き誇る花々よりも、そして美人が多いといわれる地元の人々の笑顔よりも、美しく高尚であると、彼には思われたのだった。

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