気付きの時(2)   

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 このような事が度重なり、彼らは何時の間にか、言葉を交わすのが自然になった。それは逆に言えば話さない事が不自然だと言う事である。
 ミカはともかく、他に話す人が存在しなかったトオルにとってそのことは不自然、不自由の二つに属することだったのだが、それを彼はしばらくぶりに自然で自由なことなのだと認識できるようになった。
 またそういった彼の変化を心ならずとも感じ取ったミカは、それを喜ばしく思った。
 うまく人と打ち解けることが出来ないのか、愛想笑い以外でその笑みを浮かべてしゃべることの無かった彼が、他の人にはまだ無理でも、少なくとも自分にはその表情の変化を見せてくれるようになった事を。
 トオルがその誰も手を触れていない神聖な、そして滑らかな雪原のような表情をふわりと笑みに変えた時、それは白い風景にぽんと飛び出た緑の爽やかな色をした蕗の薹を彼女に思い起こさせた。余りのはかなさに、手を伸ばせばその熱で崩れ去ってしまうのではないか、という不安は彼のそういった優しい春の眼差しの下に消失し、新たな時とそれに伴う喜びを見せてくれた。


 こうして最初にその光を見た瞬間、彼女は即座にそれを感じ取ったのだ。
 言葉にすれば直ぐに幻と化し消え去ってしまいそうで、そうかと思うと凛とした一つの植物のように力強い雰囲気を持つそれを、何と名付けるべきなのかは分からなかった。
 しかしそれ自体が彼に、そして彼女の双方に属しているものだという事は、教わるまでもなく直ぐに理解した。
 その一方で、それを見ているのは紛れもなく自分一人であり、彼においてはそれを見るどころか気が付いている様子さえ無いのに愕然とする。
 何故こんなにはっきりと輝く光があるにも関わらず、彼はそれに気付かないのか疑問に思った。


 まるで、そこには何も存在していないかのようだ。


 そう思った次の瞬間、彼女は、彼は永遠にそれに気が付かないのでは無いかという不安の谷底へ突き落とされた。
 その考えは直ぐに彼女の思考を捕らえ、束縛し、身動きの取れない状況にまで引きずり込んだ。なんとかしてそこから逃れようともがき、彼に訴えようとも、トオルは少し不思議そうな顔をするだけで理解してくれるような様子は微塵も見えず、それが更に彼女を深い迷宮の森の中へと突き動かした。
 彼の協力が無ければ逃れられないと分かっているのにも関わらず、彼にはそれが理解できないばかりか、何故彼女がその闇に囚われているのかが理解できていない、その事が非常にもどかしく感ぜられた。
 春の訪れを感じさせる彼の姿が冷たい森に閉ざされた彼女からは手の届かない物に見え、今まで身近に感じていたはずのその存在が、急に遠のいていくようだった。
 そう感じる事で彼女は更に深く冷たい海の底へと沈められ、彼は暖かく柔らかな風に乗って春の風景の中を飛び回っていく事になった。


 そんな彼女の様子は、トオルには時々不可解な淋しさと悲しみに囚われているようにしか見えなかった。
 その理由を聞こうにも、春の眼差しに照らされた瞬間の彼女はすぐにその冷たい森を背後に隠し、真っ白な羽の舞い降りるような高尚な笑顔を彼に見せる為、彼女からその理由を聞き出すのは困難だと判断せざる負えなかった。
 そうかといって誰かに聞こうにも彼から誰か他の人に聞ける状況でも無く、彼女の見ているそれが彼には見えていない以上、どうする事も出来ない事は明白であった。

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