気付きの時(4)   

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 考えた割には、結局そういった言葉に纏まってしまうのかと自ら呆れながらトオルの反応を見るが、彼はやはり少し不思議そうに、子供っぽく見える表情でナツヤの事を見返していた。
 そして、どうって、と小さな声で呟き悩むように声を上げる。
 しばらく首を捻りながら考えるうちにようやく答えが見つかったのか、トオルは再び彼を見上げて、良い人だね、と答えた。
 半ば予期していた答えに失望に似た虚無感と一緒に少々安心しながら、それだけかと聞き返してしまう自分はやはり、どうしようもなくお人よしでお節介なのだろうか。
 子供の頃、近所で苛められていた友人を助けては、結局は自分が損をした。その度にミカは優しく笑いながら、でもお人良し過ぎるのも問題かもねと、年齢の割に妙に大人びた事を言っていた事を、ふと思い出した。
 ナツヤの質問に少々戸惑いながらそれだけだよ、と答えるトオルは、わざと言っているのかのかそうでないのか。
 なまじ頭が良いだけにわざとなのかも知れぬと考えるのは、行き過ぎなのだろうとわかっていたナツヤではあったが、一度芽生えた疑惑は、水滴の中に落とした墨汁のようにゆっくりと透明なそれを黒に染めて行き、それが自然と自分の中で怒りという色に塗りかえられていくのが分かった。
 ここで怒ってはならぬと自分を叱咤し、ナツヤはミカもそう思っているのかと、自らその引き金に手を掛けるような質問を繰り出す。
 しかしそれに対する答えも思った通りというか、そうじゃないのか、という曖昧で何も分かっていない返事を聞くと、ナツヤの前で見せていた少し思い詰めたようなミカの表情が思い出されて、気が付くと彼は右手を振り上げていた。


 ぐら、と体がゆれてそのまま右側に倒れたトオルは、何が起こったのかが理解できないまま、わたわたとその体を起こす。
 鈍い痛みが熱を持った左頬の中に疼き、口の中に鉄の味がゆっくりと広がっていく、その事でようやく、混乱が収まり出した頭の中で、殴られたのだという事実を確認する事が出来た。視界が妙に歪んで見えるのは、涙のせいなのだろう。
 ナツヤの方も大して力を入れていなかったようで、直ぐに殴られた衝撃で感じていた体が揺れ動く感じは無くなった。
 まあ、彼に全力で殴られたら、これぐらいじゃすまないだろうなあ、と妙にのんびりとそんな事を考え、トオルは立ち上がる。
 普段でも余り良いとは言えない目つきを更に鋭くして、ナツヤが彼の事を睨んでいた。


 そうやってるとミカが苦しむって事すら分からないのか、今のでも分からないのか、どうしても分からないならもう一発殴ってやろうか、それとも俺が……。


 そこまで一気にまくし立てて、彼は迷うように言葉を止めた。
 そして、一瞬だけ考え、再びトオルの方に向き直る、


「俺が、ミカを奪ってやるよ」


 え、と驚いたようにぽかんと口を開けているトオルを見て苦笑し、ナツヤは彼に背を向けた。
 別に、大した意味は無いのだと、彼は自分に言い聞かせつつトオルから急いで遠ざかる。
 大した意味は無い。
 確かに昔は彼女の事が好きだったけれどふられてからはそうじゃないし、今は別に好きな人もいるし、今のはあくまで彼をけしかけるために言った言葉なのだと、幾度も幾度も心の中で繰り返した。


 大した意味は無いのさと、一度だけ、口にも出してみた。

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