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今一度その時を
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さて、とトオルは悩むように腕を組んだ。
彼女と結婚してから事故に遭うまでの事も、出来る限り思い出して書き込んだのは良いのだが、当然の如く、それだけで『彼女』が完成するわけではない。人間に必要な感情が、まだ入力されていないのだ。
しかし、それらを一体どうすれば解決されるのかは、まだ彼の中に浮かんではいなかった。
脳医学では解明されていないし、機械の回路をいじっただけでは感情と称されるもの、しかも彼女と同じ感情を擁するものは決して生まれない事は分かっている。
悩んでいても仕方が無いと、彼は再びキーボードをいじり始めた。
生前の彼女が残した研究の数々は、今彼が悩んでいるそれらにうまく対応するかのような内容で、幾度となく読み返してきた。
しかし、感情それ自体とは何かは、幾ら研究がずば抜けているこの町でも分かっている物ではない。
それは良く分かっているつもりだ。幾らかの可能性としての研究結果は幾つも見ることが出来るが、それら全てが、結論ではない。
あくまで可能性である以上、それらを『彼女』に入力するわけにはいかなかった。
やはり、一つずつ潰していくしかないか。
そう思った時、彼の目に『データ』という文字が飛び込んできた。
前後の文を見ても内容がはっきりしないが、彼女が死ぬ前に参加していた研究の物だろうと思われる。
それと同時に、いつもならば何をやっているのかを楽しそうに話してくれるにも関わらず、この研究だけは教えてくれなかったことを思い出した。
今までその存在に気が付いていたにも関わらず、気にしなかったのが非常に不思議なことに思われるぐらいに、彼はその存在が気になった。
最後に彼女が何を研究していたのか、もしかしたらそれが、『彼女』を完成へと導いてくれるのではないか。
そう思ったら最後、彼はその『データ』が何なのかを知らなければ気がすまない気持ちになった。
彼女が持っていたファイルを展開、その中に手がかりとなる物がないと分かるや否や、彼は研究所にあるコンピューターに侵入した。そして、彼女の言う『データ』を引き落とす。
簡単に目を通すと、それは論文の元になる『データ』だとすぐに分かった。
題名は、感情の数値化。彼女自身の思考回路、感情の起伏、何かに対する反応を幾つかのテーマに分類して、全てを数値化、コンピューターにあるシミュレーションソフトに入力。
そうして少しずつ、感情の数値を正確にしていくのだ。
昔からよくある試みだ、と思った。
成功した例を聴いたことはないが、彼女ならそういった事にも興味を持って試していたとしてもおかしくはない。
そう思いながら、それをもう一度読み直した。何度も読み直し、その数値が彼女の感情に近くなるものだと理解する。
ミカが、彼女の全てが戻ってくる。そう感じた。
『彼女』のチップに繋ぎ直し、感情を司る部分を一度解体し、彼女が組み立てた『データ』をそのまま入力できるように、それ自体を作り直す。
元のソフトはよくあるもので良く知っていたので、それは簡単に作り上げることができた。
彼女の感情を入力して、研究所からついでにもらっておいたシミレーションソフトで一度起動、彼女がやり残したと思われる修正を加える。
何度もそれを繰り返して、『彼女』にそれを送った。
それを『彼女』が消化しきるまでには時間が掛かるだろう。
そう思い、彼は思わず微笑んだ。
まもなく、ミカが生き返ってくれるのだと、そう思うだけで嬉しかった。
感情も、記憶も、言葉も、行動も、思考も、全てが彼女そのままであり、それら全てが『ミカ』がミカであることを証明してくれるのだと、そう思った。
それと同時に、今まで思い出さないようにしていた彼女が死んだ時の記憶が、まざまざと甦ってきた。
遠く霧の中に沈んでいたかのようなその時の記憶が、はっきりと、まるで目の前で起こっているかのように。
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