02. 偽りの者  

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 そのことを聴いた瞬間に思わず笑いそうになったのは、多分、私だけではないだろう。


 あの彼が、本を出版した。


 そんな馬鹿なことあるか。私と同じ種類の彼がどんな本を書くというのか。世間の批判か、それとも生死の意義についてか。小さく嘲るように笑いながら、その情報をもたらした『友達』に私は信じられないよと言葉を返していた。私と同じ、死に魅了され、そしてそれを隠そうとしていた彼が何故?そういった思いが消えなかった。
 しかし、ふと立ち寄った本屋で見た彼の本は、まさにその本質を著しているようで、納得させられたのだ。
 なるほど、と思った。
 これこそ彼の本質、彼が彼である所以なのだろう。狂っていると言われた小説、文字の羅列。意味を成さない、文章。全てが彼の人生の現れであり、これからも続くであろう永遠の連なりなのだ。私にしてみれば、「死」の不思議さに魅了された彼は決して狂ってなどいないのだが。唯、知的好奇心をくすぐられ満足したいと願っている子供、それに似ていた。生を知ることで死を知ろうとする、それだけの純粋な好奇心。それを狂っていると言う方が、どうかしている。
 彼の本を批評した雑誌を読み捨てて、私はそのままベッドの上に寝転んだ。くだらない、くだらなすぎる批評だった。彼の性格も性質も、何も知らないのに彼の本質を説いていると称する文字の羅列。同じ大学で比較的近い種類の私でさえ分からないのに、彼の事を知らない全く関係ない人が、何故彼の本質を語れるのか。全く、くだらないことこの上なかった。この、周りの人々の感性に合わせて造ってある部屋と同じぐらいに、くだらない。
 昔、この性質を自覚し始めたころから全く変わっていないこの部屋と、張り付いたような私の笑み。好きな色は淡い緑色で、好きな芸能人は、好きな歌は、と興味もないのに決まっているのも昔から変わらず、くだらない。
 全てが無駄なのだ。この性質を隠して過ごすこと自体も、それを文章にしてさらけ出すことも、全く変わらないくだらなさ。生きている意義もなく、生きていく気力もない。それでいて死ぬ気もなく、かといって殺されることを望むでもない。変わらない過去と、これからも変わらない未来。あまりのくだらなさに思わず笑ってしまいそうになったのは、結構前のこと。今ではもう、それを笑うという行為もくだらなくてしょうがないと感じている。


 ふと、彼に始めてあった時の場面が浮かんだ。人気のない寂れた図書室前の中庭で、一人ぼんやりと下を見つめていた人。暗い影の下で表情を隠すように少し長い髪をそのまま下に流し、その視線を追うと死にかけの蝶が少しだけ羽をはためかせているのが見えた。少し動いては止まり、また思い出したようにびくりとその羽を痙攣させる。這うようにして動いてはまた止まるその姿に、彼は魅了されていた。死を象徴するような姿に、不思議そうな、それでいて輝く熱っぽい瞳を向けていたのだ。
 同類か、とすぐに思った。死を見つめ、死に魅了され、心引かれ、囚われた、そういった人間。人の生を知ることを許されず、それ故に死をも知ることができない存在。それが人類全員を指すのか、それとも私のような者だけなのかはわからないが、知ることのできない不思議を追い求めすぎる為に、卓越してしまった存在。
 私と、同じ。
 いや、違うのか。不思議を求めるか、それ自体を求めているかの違いがある。私はむしろ、後者なのかもしれない。すぐにでも壊れる危険性があるからこそ美しい、生命。何者にも変えられず、なにもその代わりはできない物でありながら、限りなく不完全に近い。だからこそ、私は完璧なそれに心惹かれる。誰にもわからない暗闇と、その中にある真理。死がそのような存在自体かもわからないのだが、生が不完全であるのならば、死が完全であることを私は望んでいる。この世界ではありえない完璧を、その中に求めているのだ。
 彼との違いは、他にもある。私が周りに知られないように貼り付けた笑みと、彼の世界に入り込みぼんやりとしていると称されて、自然と性質が暴露されることを回避する能力と。この点、私は損をしているのかもしれない、と彼を見るたびにそう思う。見つかってはいけないこの性質のはずなのに、隠そうともしないで自然に隠れていってしまった彼と、必死の笑みを貼り付けて周りと話をあわせて、ようやく隠してきた私と。くだらなすぎる努力だと、彼と話すようになってから思った。彼はそれがばれることをほんの少しだって恐れていないのだ。むしろ、ばれて欲しいと思っているのか、と思わせる場面さえある。今回の本の事だってそれの極み、と言えなくもないだろう。
 だから、私は自分の努力がどうしようもなくくだらないと思った。ここまでして隠す必要がどこにあるのだろうか。ばれたとしてもどこがいけないのであろうか、と思う。私のしていることがくだらないのか、周りの、それが自然且つ当然であるかのように生きている人々がくだらないのか、それともこの世界の全てがくだらなく、そう考えることすらもくだらないのか。何もかもがくだらなく、どうしようもなく、その為に私は何も理解することはできない。


 彼との違いも、自分自身が求めているはずの「死」という完璧さすらも。


 くっとベッドに横になっていた身体を動かして、寝返りを打つように小さく動く。考えているうちに訳のわからなくなってきた、熱い頭を抱える。目の前に、彼の批評をした雑誌が置いてあった。
 それでもやはり、と私は目を閉じて思う。
 やはり、私は彼とは違うのだ。普通の人とは異質の存在ながらも、また私達二人は違った存在なのだ。だから、これからもこの性質を隠していこう、と思う。今までと同じ、くだらない生活を続けていくしか、私にはできることがないのだ。


 疲れてどうしようもなくなるまで、それを続けるのだ。

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