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 目の前に天使がいた。
 全くの偶然奇遇ではあったが、それは、僕にしてみれば運命に見えた。
 というか、運命に違いなかった。
 そうでないわけがない。


 困ったように学園近くに佇んでいたナギさんを見つけて、いつも僕に付いて来るヒューイットにリクを連れて来る様に言って、僕自身は彼女を連れて近くのカフェに行くことにした。
 少し戸惑っていたらしい彼女の様子はとても愛らしかったけれど、僕の完璧なリードのお陰で緊張はほぐれたらしい。
 先ほどよりは穏やかな表情で、時々頷いたり首をかしげたりして見せながら、ちょっと慣れない感じで紅茶を飲む仕草が、また愛らしい。
「ナギさん……」
 声をかけると、おそらくリクがまだ来ないのかと気になっていたのだろう、学園の方を見ていた少女がこちらを見て、首を傾げた。
 リクはまだ来ない。
 どうせまた、女性陣から隠れて、どっかにいるんだろう。
 どこにいるのかは分からないのだが、よく居なくなる。
 シリルにとっては正直、理解し難い行動ではあったが、どうでもいい。
 ともかく、今は二人の時間を楽しませてくれてありがとう、といった感じだ。


「よ、よろしければ……また、お茶でもいかがですか?」
 聞くと、少女は目を瞬かせて、再び首を傾げるようにした。
 ……伝わってない。確実に伝わってない。


「えぇっとですね、お暇な時にでも……一緒に、二人で、お話でも出来たら嬉しいなぁって思いまして」
「……お茶?」
「あ、もちろん、お金は僕が支払います。レディである貴女に、負担はかけませんし、お忙しいのでしたら、無理強いはしませんよ。ただ、あの、僕としては、もっと貴女のことを知りたいなって、そう思っててっ」
 段々、支離滅裂になってきた。
 驚いたように目をぱちくりさせたナギさんにくすりと笑われて、自分の醜態に恥ずかしくなり、苦笑しながら座る。
 にっこりと、天使の微笑みを浮かべたナギさんが、僕を見て、小さく首を横に振る。
「……ダメ、ですか?」
 かなり、情けない顔だったかもしれない。
 僕のことをみたナギさんは少し困ったように眉をひそめて、大人っぽく苦笑し、


「いた。もう、一体何しに来たのさ」
 何でこうタイミングよく来るのか。
 嫌がらせか、と思うぐらいにタイミングよく来やがったリクに、邪魔された。
 ぱっと表情を明るくしたナギさんが立ち上がり、リクを手招く。やって来たリクがむっとしたままの表情のシリルを見て、あぁ、と小さく呟いた。
「ごめん」
「……別に」
 そっぽを向いて答えると、リクは苦笑し、ナギさんは不思議そうな顔で少しだけ首をかしげた。
「で、何の話してたの?」
「べ、別に何だっていいだろうっ! 君には関係の無い話だっ」
 分かっていて聞いているのか知らないが、怒鳴るようにして答えると、笑われた。
 そして、おかしそうな口調で言葉を続けられる。
「悪いけど、俺達の養父って、結構厳しいんだよね。だから、一回聞いてみないと」
「……リク君、何の話だい?」
「シリルがさっき姉貴に言ってたことさ」
 肩をすくめながら答えられて、やっぱり分かっていたんじゃないか、と怒鳴りたくなったが、隣にいるナギさんがちょっと怒ったような顔でリクを叩いていたのが可愛かったので、やめておく。
 自分を落ち着けようと一つ咳払いをして、あーっと、声を出した。
「では、その、また明日にでも、聞けばいいのか」
「そうなるかな」
 二人の人生の大切な問題に、そんな適当な答えをするなと言いたくなったが、それでは流石に大人気ないと思い、そうか、と一つ答える。
「うん、そうか、ええっと、では、ナギさんは」
 ナギさんはどう思っているのか、それを聞いてみたかったが、目が合うと微笑んで「どうしたの?」というように首を傾げられ、言葉を見失った。
 戸惑う僕を見て何を思ったのか、ナギさんはリクの耳元にふっくらとした唇を寄せて何かを囁く。
 驚いたような表情で「え、でも、」と声を上げるリクに悪戯っぽく笑って見せて、口元にしぃっと指を当てて首を傾げて見せると、リクは大きなため息を吐いた。
 そして、肩をすくめつつ、分かった、と答える。
「シリル」
「な、なんだ?」
 こっちに話が振られるとは思わなかったから、変な声が出た。
 リクに呆れた視線を向けられて、咳払いをし、「なんだよ」と問い直す。
「明日、また来るって。……仕事あるのに」
 ぽそっと呟かれた言葉に、ナギさんは怒ったようにリクを軽く叩いた。
 軽く睨まれたリクが肩をすくめて、だから、と言葉を続ける。
「その時に返事するから、また来てって」
「と、当然だっ! わかったっ!」
 勢い込んで答えると、リクが再び呆れたような顔をし、ナギさんは優しく微笑んでくれた。こんなに綺麗で優しいお姉さんがいて、何でリクはこんな性格になったんだ、と一瞬まじめに考えた。


 シリルの答えを聞いたナギさんは小さくうなずくと、オープンカフェの階段を軽やかに降りて、くるりと振り返った。手を振り、またね、というように口を動かして、背を向けて去っていくナギさん。
 可愛い。なに今の超可愛いんだけど。
「ちょっとシリル、何ぼんやりしてるのさ」
「……うるさいな、余韻に浸ってるんだ。邪魔するな」
「口、悪いなぁ……」
 ぼやいたリクがため息を吐き、それじゃ、と軽く手を挙げられ、驚く。
「……え、何」
「何って、俺は戻るから」
「いや、そうではなく」
 挨拶されたことに驚いたのだけれど、とは流石にいえなくて躊躇していると、リクは「ああ」と小さく呟いて、手を下げた。
「迷惑だね」
「……いや、そういうわけではないが」
「じゃあ、何」
 聞かれて、口ごもる。
 黙っているリクに、だって、と何とか言葉を紡いだ。
「君は、僕が嫌いだろう?」
「それ、シリルの方じゃないの?」
 聞き返されて、言葉に詰まる。
「ぼ、僕は……」
 何かを言おうとして、言葉に迷い、俯く。
 そうだ。貧乏人のクセに、僕達みたいな顔をして学園に通って、しかもずっと頭が良くて、物珍しさからだとは思うけれども女性陣にもモテてて。
 そういった事実が、僕に劣等感を抱かせた。
 リクの存在自体が、不快だった。邪魔だったのだ。


 だから、嫌いだった。


 僕が黙ったままだったからなのか、リクはため息を吐き、「別にいいけどさ」と小さな声で呟いた。
「……え?」
「避けられるの、慣れてるし。シリルは殴ったりとか、水かけたりとか、直接何かやるわけじゃないから」
「そんなこと、するわけないじゃないか」
 むっと眉をしかめて言えば、軽く肩をすくめられた。
 それがどういう意味なのかはよく分からなかったが、そう言うって事は、やる奴が居たのだろう。
「うん、シリルはやらないから。だから、俺としては別に嫌われたところで、困らない。あの人に心配されることも、ないしね」
「……あの人?」
「姉貴。君が夢中になってる」
「だ、誰が、夢中に、なんてっ」
 思わず赤くなって否定すると、軽く笑われた。
 何か、誤魔化された気がしたが、それを問う前に「だから」と言葉を続けられる。
「君が俺をどう思おうが、俺は気にしない。ただ、あの人を困らせるのだけは、やめてね」
「……僕が、ナギさんを困らせてるって?」
「あの人、馬鹿みたいに優しいし。さっきのだって、自分じゃ断れなさそうだから、助け舟出したつもりだったんだけど。シリルが情けない顔するから、可哀想になったんだろ」
「……何だよそれ。どういう意味だよっ」
 怒鳴ると、「別に」と興味なさそうに返事をされた。
 でも、いい加減に分かって来た。
 こいつの「別に」とか「気にしてない」とかは、多分、何か考えている時だ。文句を言いたいのを、堪えているように見える。
 ああ、そうか、と思った。
「僕に、ナギさんを諦めろって言いたいのか?」
「……」
「ナギさんが優しいから、僕に付き合ってくれているだけだって。本当は、ナギさんは困ってるとか何とか。そう思わせて、諦めさせたいんだ。そうだろ?」
「……別に、そういう訳じゃないんだけど」
「そうじゃないかっ」
 言い返すと、リクは黙ったままじっとこちらを見てきた。
 それを見て、ふと、似ていないな、と思う。
 ナギさんは、こんな人を測るような目をしないし、顔立ちも……似ていない。
「ナギさんのこと、好きなんだろ。だから、そういう言い方するんだ」
「……マークから聞いたでしょ。兄弟だよ?」
「さっきからおかしいと思ってたんだ。あの人あの人って……顔も似てないし、もしかして、本当の姉弟じゃないんじゃないか?」
 聞くと、リクは驚いた顔をして、すぐに無表情になった。
「……それは、関係ないだろ」
「関係ある」
「何でさ?」
「だって、」
 言っていいのか、一瞬だけ迷った。
 迷ったけれど、やっぱり我慢できなくて、だって、と再び言葉を続けた。
「姉弟じゃないなら、ナギさんについて何か言う資格が、君にあるとは思えない」
 その言葉は、思った以上にリクに効いたみたいだった。
 黙り込んだリクは、硬い表情でしばらく僕のことを睨み付けたかと思うと、
「……勝手にしろ」
 と低い声で呟いた。
「俺は、親切で言っただけだ。聞く気がないなら、勝手にしろよ」
 いつもは見ない様子に内心びびったが、「ああ」と虚勢を張って答える。
「勝手にさせてもらうさ。僕は、ナギさんを諦めないから」
 そう言う僕をしばらく見て、そう、とリクは呟くようにして答えた。
 そして、いつもそうしているように、何も言わずに背を向け、学園に戻っていく。何か、用事があるのだろう。
 何か言うべきかと思った。
 けど、何を言えばいいのかはわからなかった。
 少なくとも。
 僕の言葉がリクを傷つけたのは間違いなかったから、何か、居心地が悪かった。

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