夜空の星に響く歌(上)  

 夜は怖い、そう思っていたのはもうずっと昔の事だった気がする。
 夜が怖くなくなった小学生時代、そしてあの後、私は夜がとても好きになった。
 その理由は、ものすごく単純で。
 夜空を見上げたら、もう二度と聞けない彼の歌声が、彼の姿が、私の中に甦ってくる気がするから。深い闇の中に浮かぶ星が明るく輝く夜も、明るい月の端に雲が薄くかかった夜も、星ヶが全く見えない夜でも、私は空を見上げては彼の事を思い出すのだ。

 二度と会うことは出来ない、彼の事を。


 私にとって、彼は少し特別な存在だった。
 まだ小学生だった事もあって、それが恋だったかなんて分かりようも無いけれど、もしかしたら初恋だったのかなと少しだけ考える。幾つか年上だったはずの彼だけど、少し小柄で痩せていたこともあって、どう見ても一つ年上か同い年にしか見えなかった。

「……君、こんな時間に何やってるのさ?」

 初めて彼と会った時の第一声は、それだった。
 驚いてそちらを振り返ると、暗い公園の中、白い電灯の光にぼうっと浮かび上がるようにして、彼の姿が見えた。彼と言っても髪が長ければ女の子に見えなくもないぐらい体は細く、肌は青白いように見える。
 熱くなり始めたこの季節だから私のように半袖でもおかしくないのに、夜だからなのか、黒っぽい長袖を着ていた。ズボンも同じように黒っぽくて、長い。
 少し長すぎるのか、そのすそはまくられていた。

「小学生、だよね? さっさと家に帰ったほうがいいんじゃないの?」

 大人びた口調でそう言ってくる彼に、反感を覚えた。
 どう見ても同い年でしかないのに、何故そんなことを言われねばならないのか。こんな時間に、確か九時を回ったぐらいの時間だったと思うが、薄暗い公園に来ているのは彼だって同じだというのに。
 むっとした顔で彼の脇を通り過ぎ、足元にあった黒い箱をまたいでベンチに腰掛けると、彼は苦笑したようだった。
 私の直ぐ隣までやって来てベンチに、多分私が来る前までそうしていたであろう体制で腰掛けると、地面に置いてあった黒い箱を自らの近くへと引き寄せる。

「家でも追い出されたの?」

 聞きながら、彼はその箱から何かを……ギターを取り出した。
 そして、ぽろぽろと弦を弄っては金具を回している。音の調整、だろうか。私にその変化は分からないのだけれど。

「……飛び出してきたの。ケンカ」

 大したことではなかった気がする。
 ケンカの理由は直ぐに忘れてしまう些細なものだったけれど、ただ向こうの言葉にイラついて言葉を重ねていったら、取り返しが付かなくなってしまったのだ。悪いことをしたような気分になったけれど、もう謝ることは出来なくなってしまったから、出て行けといわれたのをキッカケに飛び出してきてしまった。
 しばらく頭を冷やしたら帰ろう。
 そう思いながら夜道をふらふらと歩いて、昼間は男友達と良くサッカーをする、この公園にやってきたのだ。この公園なら、変な人はあまり出ないらしいことは知っていたから。
 ふうん、と返事をして少し止めていた手を再び動かし始める彼を見て、私は「ちょっと」と声を上げた。調整し終わったらしいギターの弦に軽く手を添えながら、何、と聞き返してくる。

「あんたは、何なの? さっきからすっごい済ましてるけどさ、あんただってこんな時間にこんなとこに居ていい年じゃないでしょ?」

 軽く睨みつけるようにして言うと、彼は驚いた顔をして私のことを見た後、けらけらと声をあげて笑った。
 そうしていると、余計に幼く見えることを、彼は知らなかったのだろうか。

「何、笑ってるの?」

 余計にイライラとして聞き返す私にごめん、と返事を返しながら、彼はズボンのポケットを探った。
 そして、小さな手帳を取り出して私に見せてくる。赤い色の安っぽいカバーを被ったそれは、直ぐ近くにある中学校のもので。

「まあ、だからここに居ていいって訳じゃないけどね。君よりはマシ、じゃないかな」

 平然とそう言葉を発し、

「どっちにしろ、この時間は家に入れないし」

 そう続けた。
 そして、私がどういう意味かと聞き返す間も与えずに、ギターを弾き始める。
 聞いたことのない曲だったけれど、しばらくして歌い始めた彼の声はとても透き通っていて、私は思わず聞き惚れてしまった。長いわけでも短いわけでもない曲の余韻が夜空に消えうせてしまってから、私は一所懸命に手を叩いた。
 たった一人の客からの拍手を受けて、彼は少し照れくさそうに笑うと、じゃあもう一曲、と言って今度はもう少しテンポの速くてノリの良い曲を歌ってくれた。多分、私という聞き手に合わせてくれたのだろう。今度は歌は入っていなかったが、気分の盛り上がる曲だ。
 そして、拍手。

「ねえ、最初みたいに歌ってよ。私、歌声が聞きたい」

 少し身を乗り出すようにして私が言うと、彼は嬉しそうに笑い、私のリクエストに答えてくれた。私の知っている曲も取り混ぜて、何曲も歌ってくれたのだ。

 
 彼の涼やかな声が、夜空に溶け込んでいった。  



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