花火  

 人ごみが一定の方向に流れ出すのを見て、彼がふと腕時計を眺めた。あ、っと小さく声を出して人ごみに巻き込まれかけていた彼女の腕を掴む。
「いくぞ」
 ぼそっと声を掛けて、ほえっと疑問符を上げた彼女の腕を引っ張って、人ごみに逆らうように歩き出した。
正面から人にぶつかりそうになる度に迷惑そうな顔をされながらも、彼は小さく眉をしかめたままほぼ真っ直ぐに歩き続ける。転びそうになりながらも、腕を掴まれたままの彼女は小走りになりながらも付いていく。
「ね、……ど、どうした、のっ?」
 転びそうになる度に言葉を詰まらせて、彼女が問う。彼は小さく笑って、花火だよ、と答えた。キョトンと不思議そうな顔をして後ろを振り返りかけた彼女の腕を再び引っ張り、人ごみから抜ける。
「なんで、こっち来るの?花火なら、みんなのいる方に行ったほうが良いんじゃないの?」
 人ごみの方を振り返りつつ彼女が聞くと、彼は少しだけ辺りを見回してからこっち、と再び彼女の腕を引っ張った。明かりから離れるように歩き出す彼にくっついて、きょときょとを周りを見回して歩いていく。
すると、
「足元」
 注意されると同時に、体が傾いた。掴んでいた彼の腕に支えられて、どうにか立ち上がる。その時に、ふわあといったような不思議な音声が聞こえたような気もしたが、彼は気にしないことにした。
 つかまっていた腕から少しだけ身を離し上を見上げると、微かに呆れたような表情をしている彼と目が合った。照れ笑いをしながら手を離すと、彼は小さく溜息をつき、行こうと彼女を促す。数歩だけ歩き出してから、足元みろよともう一度彼女に言った。彼女は、わかってるよーと答えて、微かに足をもつれさせつつ、彼についていった。

   細い、殆ど誰も使っていなさそうな、むしろ誰かその存在を知っているのかと聞いてみたくなるような道を抜ける。坂を上りきったところは周りにあった木々が開けて、少し広い草むらになっていた。
「ほれ」
 小さな袋しか持っていなかったはずなのに、どこからとりだしたのか、彼が二人が座れそうなシートを取り出して草むらの上に敷いた。彼女がキョトンとしてそれを見ていると、彼が座れよ、というように目線で促してきた。その指示に従ってシートの上に座る。
「逆。川のほう向けよ」
 苦笑しながら彼に言われ、ちょこちょこと動いて大きな川の見下ろせる方角に向き直った。歩きながらも度々腕時計を見ていた彼が再び腕時計を見て、もう少し、と呟く。彼女の隣にゆっくりと腰を下ろし、川のほうを見下ろした。少し目を細めれば、人々が遠くに 小さくなって動いているのが見える。殆ど群れのようにも見えて、彼女は自分があの場所にいないことに少しホッとした。
 遠くでアナウンスのようなもやもやとした音が聞こえて、川の近くが少し明るくなる。彼女が目を細めようとする前に、ひゅうと花火独特の音がして、少し見上げた辺りで花が咲いた。
 ほえーと呟く彼女の声が遠くで聞こえ、三つほどの光が夜空に舞う。白っぽい光がレースを広げ、赤い光が小さな花を咲かせる。濃紺の空が藍色に薄まり、いくらかの光が空がキャンパスであるかのように塗り上げ、消えていく。帯を引きながら打ち上げられた光は 、周りに小さな粒を振りまきながら消失し、その夜の明かりに余韻を残す。
 いくつもの光が空に遊び、そして疲れたころ、少々間の抜けたアナウンスが風に揺られて彼らのところまでやって来た。言っている内容は、理解できるほどはっきりはしていない。
「本番」
 彼が小さく呟くように言った言葉を聞き返す前に、再び花火の打ちあがる音が聞こえた。
 白い光が夜空に打ち上げられ、白いレースを垂らす。それが開ききったころに次の、すぐにまた次の光が連続で打ち上げられ、白いレースが束になったかのような光が空に生まれた。きらきらと輝き、小さな宝石がその恥から零れ落ち、闇に消えていく。明るい白い光はさらさらと流れる水のように滑らかにも、涼やかにも見えた。
 最後の一発が上がって音がやむと、宝石が少しずつ、レースから零れ落ちていった。川の流れのようにさらさらと、森林の静けさのようにゆっくりと、宝石が零れ落ちていく。
永遠に終わらないように、あっという間に終わってしまったような。美しいレースはゆっくりと光を手放し、舞台から退場していった。
 視界に残る光の余韻を楽しんでから、彼女はふわあとぼんやりとした声を出した。それから、闇に消え入りそうな静かな声で、すごいねと呟く。
「……そうか」
「うん、すっごいよかった」
 短い返事にうれしそうに、それでもやはり短く答えて、彼らは夜空を見上げた。一段と暗く、それでも明るく見える夜空を、見上げた。深い舞台を眺めて、彼女が、ふと思い出したように彼の事を見た。そして、静かな声で、また、来年もつれてきてね、と頼んだ。
 彼は聞き流すかのように何も答えずに夜空を見上げ、小さく息をつくようにして彼女のことを振り返った。
「そうだな」
 小さく、そう答えた。



当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送