選択の時は(2)   

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 ぎぃっと思っていたよりも大きな音を立てて扉が開き、彼はびくりとして、思わず手を引っ込めた。
 扉が開ききったのを見てから、じっと部屋の中を覗き込む。
 暗く沈みこんだような闇の中に、白い光が筋のように走っているが、それは奥までは照らしてはいない。


 ナツヤはしばらく、手を伸ばしたその状態のまま固まっていた。
 俯いて耳を澄まし、何の音も聞こえてこないのを確認してから、ふうと息を付き、足元を見つめながら、その硬く乾いた木の床を慎重に進んでいく。
 ことり、と足音を立てる度に、トオルが起きて来るのではないかと思い、耳を澄まし、神経を尖らせた。
 ようやく、泉の底に沈み凝り固まったかのような暗闇に目が慣れ始め、ナツヤは視線を上げた。
 昼に来た時よりも雑然としてみえるその部屋に少し違和感を覚え、


「……遅かったですね」


 『彼女《それ》』の声に、心臓を跳ね上がらせる。
 急激に高鳴りだす心臓を押さえて、少し目を細めるようにして奥を見ると、細い月の光に照らし出されるようにして、まず、『彼女』の着る白い服が目に入った。
 ゆったりと床に広がるその布をたどるように視線を動かして、『彼女』に座り込むそれを視界に収める。
 その存在は薄く、まるで夢の中に迷い込んでしまったかのような感覚を、彼に与えた。


 私の考えでは、もう少し早く来ると思いましたが……。彼の入力が違っていたのかもしれません。


 淡々と続く声は、冬の冷たい泉に反射する月光のようだと思った。
 その言葉の内容を一瞬理解できず、しかし直ぐに飲み込んで、思わず苦々しい声を漏らす。
 自分がこう考えるだろうということを、あらかじめ知っていたのか。トオルが、『彼女』と同じように考えているのかは分からないが、『それ』の製作者である彼もそのように考えていると思うのが当然なのだろう、と彼は思った。
 ならば、どこかから自分を抑えようとでもしてくるのだろうか。
 そうした危惧を感じ、少し眉を潜めるようにして考える彼を見て、『彼女』は微笑むかのように笑った。


 トオルなら眠ってますよ……。良く眠れないというので、睡眠薬を差し上げましたから。


「……ふうん……」


 彼には、そうと答えるしかなかった。
 確かに、トオルがどこかにいるような様子は見当たらない。
 そう思い『彼女』を見ると、自分のことをまっすぐに――彼女がよくしていたのと同じ、強い光を持った瞳をしているのにぶつかった。
 過去にあったその姿と重なって、意識を占領してくるかのようなその感覚に、彼は心臓を跳ね上がらせて、まじまじと『彼女』を見つめた。
 月の光の加減、というわけでもない瞳の輝きは、まるで身の内から発せられているかのように美しく、生前の彼女を思い出させる。
 さあ、と『彼女』は声を発した。
 細く白い喉が上下に動き言葉を紡いでいくのを、彼は幻でも見るかのようにして、見守った。


「さあ、私を壊してください。……その為に、来たのですから」


 そう言って頭を下げた『彼女』を見て、彼は金縛りに遭ったように、その様子を見つめた。
 艶《あで》やかな髪が青白い光を反射して冷たく流れていき、昼の時よりもやけに白く見えるその肌は、神聖不可侵な物で触ってはならぬもののようにも感じる。
 それは、ミカではありえないほどに完璧であり、それ故に『彼女』はミカでありえるかのようだった。


 だから、だろうか。


 気が付くと、彼の体は恐ろしい物でも見たかのように汗ばみ、震えていた。
それは、そんなことは、許されることではないのだと、彼は今にも金鎚から手を離してしまいそうになりながら、がたがたと震えていたのだ。


「け、けど……」


 思っていた以上に、かすれた声が発せられた。
 それに反応した『彼女』が顔を上げて、不思議そうに彼の様子を眺める。


 けど、これは殺人だ……。


 そのように、彼は呟いた。
 許される、許されないということではない。そういった行為は俺には出来ないのだと、彼はそう続けた。
 うわ言のようにそう呟く彼を不可解な物でも見つけたかのような顔をして眺め、ふと、『彼女』は微笑んだ。
 哀しそうに、もしくはどうしようもない子供をあやそうとする母親のような表情で、微笑んで見せた。
 そして、じっと彼を見上げながら、安心してください、と言う。
 明るく元気の良かったミカの声と全く同じでありながら、蜃気楼のような不安定感と森林深くに沈んだ湖のような静かさを持ち合わせたその声は、彼の思考を柔らかな綿の中に包み込んでしまうようだった。


 私は、機械ですから……。

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